我が園に (わがそのに)
梅の花散る (めのはなちる)
ひさかたの (ひさかたの)
天より雪の (あめよりゆきの)
流れ来るかも (ながれくるかも)
意味:
私の家の庭に
梅の花が散っている
永久に確かな
天より雪が
流れて来るようだよ
作者:大伴旅人 (おおとものたびと)
この歌は、庭の梅の花が散るのを見て、天より雪が降っているように感じると歌っているのです。大伴家持の父親で、大納言になり、官位は従二位と臣下最高位となった。万葉集に67首の歌を残す。
この歌を含む815番から846番の歌は宴会の歌で、次のような題詞が付けられている。そうこれは、令和の年号を発表したとき令和の語源になった宴会での歌です。この宴会は大伴旅人の家で開かれました。
「梅花の歌32首合わせて序
天平2年の正月の13日(730年2月5日)に帥老(大伴旅人)の家に集まりて宴会を開く。
時は初春の令月にして、気候は良く風は和らいでいる。梅は鏡の前の女性のように化粧し、蘭は、貴人の飾り袋の香りのように匂っている。それのみでなく、夜明け方の峰に雲が移り、松は、薄絹(うすぎぬ)を掛けて絹で張った長い柄(え)の傘を傾ける、日の暮れるころ山の峰に霧を結び、鳥は、薄絹に閉じこめられて林に迷う。庭には、新しい蝶が舞い、空には、去年来た雁が帰って行く。
ここに天を傘にし地をすわる場所にし、膝を近づけ盃を交わす。言った言葉を一つ部屋の中に忘れ、衿を自然の風景の外に開く。物事にこだわらず許し、気がかりなく自ら満足する。
もし和歌によらなければ、何を持って心を述べることができるだろうか。漢詩にも落梅の編が記録されている。昔と今、それは何も違いはない。よろしくこの庭園の梅を題として、短い歌を作ってください。」
この歌で、旅人が「天から雪が流れて来るようだ」と歌っているのは、亡くなった妻を偲んで歌っていると思われています。大伴旅人は大宰府に着任して早々に都から伴ってきた妻の大伴郎女を急の病で失っていました。それは、この歌の2か月程前のことでした。