万葉集におけるチドリは、チドリ科の大きな鳥を除いた小さな鳥を呼ぶ。また、シギ科の鳥なども含まれる。コチドリ、イカルチドリ、シロチドリ、メダイチドリ、キョウジョシギ、ムナグロ、イソシギなどをいう。体長は20cm前後で、背中は褐色で細かい模様がある場合もある。腹は白、頭部は褐色や白で、黒の模様がある場合がある。多くのトリは4本指ですが、チドリ科の鳥は、一部を除いて3本指です。シギ科も4本指です。この違いからチドリの歩き方が不安定かどうかは不明ですが、千鳥足という言葉が生まれたらしいです。

イカルチドリ

イソシギ

チドリには、古くからのデザインがある。家紋にも同じ素材を使った10種類以上のデザインがある。また、チドリのデザインは家紋以外でも各種のデザインなどにも使われている。このデザインを使ったものに浜離宮の松の御茶屋の千鳥の透かし彫り(復元)がある。この透かし彫りから差し込む千鳥模様の光が部屋の中に美しい光景を作るといわれます。

松の御茶屋チドリのデザイン

万葉集中に現れる鳥は、歌の中心でなく他の事柄を表現するために、鳥のように何々と歌うことが多い。たとえば、「鴨のように船が海に漂う」的なものが多く、全体のストーリーには、鴨は関係ないことが多い。これに対してチドリの場合は、歌の意味に密接に関係していることが多い。たとえば、「千鳥が鳴くと、私はこのように感じる」と歌われることが多い。この点で千鳥は歌の中である位置を少し占めているということができる。

万葉集には、千鳥が出てくる歌が、26首ある。この中で、9首の歌では、佐保川や佐保路という地名が現れている。春日山から発して佐保の地を南西に流れる佐保川周辺には千鳥が当時たくさんいたものでしょう。都の鳥的なイメージもあると思います。

 千鳥には、チドリという鳥を歌っている場合と、たくさんの鳥という意味で使っている場合の2種類があります。

この章で画像で示したイソシギは、エリザベス・テーラーの映画で有名なイソシギ(THE SANDPIPER、1965年アメリカ)と同じものです。この映画は、美しい映画音楽(シャドウ・オブ・ユア・スマイル、いそしぎ)がアカデミー賞に輝き大ヒットして有名になり、現在で時々放送されるこがある。ただ、映画中に現れる鳥の姿は、季節や年齢により多少違うことがあるので写真と全く同じかどうかわからない。同じ鳥でも季節や場所が違うと変化することに注意が必要です。

 

17.1 万葉集  266・268・371・526・528・618・715・915・920・925

 

第3巻266

近江の海 夕波千鳥 汝が鳴けば 心もしのに いにしへ思ほゆ

あふみのうみ ゆふなみチドリ ながなけば こころもしのに いにしへおもほゆ
意味:

琵琶湖の 夕方に打ち寄せる波の上を群れ飛ぶチドリ おまえが鳴けば 心も打ちひしがれ 昔のことを思い出す
作者:

柿本朝臣人麻呂(かきのもとのあそみひとまろ)人麻呂は天武朝から持統朝に活躍したと思われているが、この歌はそれ以前の天智天皇の近江朝の頃を懐かしんで歌ったと考えられる。柿本朝臣人麻呂が近江朝でどのような生活をしていたかわからないが後で懐かしむような生活をしていたことが伺われる。柿本朝臣人麻呂の歌は、11.1章の119に「高市皇子尊の城上(きのへ)の殯宮(あらきのみや)の時に、柿本朝臣人麻呂の作れる歌」というものがあり、武市皇子がなくなったときに歌った歌で、大津京に住んでいた武市皇子が壬申の乱の時に雪の降る厳しい気候の中で大津朝の兵と戦う様子が迫力をもって歌われている。万葉集の中で最も長い歌である。この戦いの行程の中に同じく大津京に住んでいた柿本朝臣人麻呂いたのではないかと考えられる。いたからこそ迫力をもった長い歌が歌えたのではないか。この戦いの中で天武の味方をしたからこそ、柿本人麻呂が天武朝以降の地位を得て、万葉集ができることになったと考えられる。

 

第3巻268

我が背子が 古家の里の 明日香には 千鳥鳴くなり 妻待ちかねて


わがせこが ふるへのさとの あすかには チドリなくなり つままちかねて
意味:

わが友が 以前住んでいた里の 明日香には 千鳥が鳴きます 千鳥の妻を待ちかねて
作者:

長屋王(ながやのおおきみ)この歌には、「長屋王が故郷の歌一首」というタイトルがついている。また、歌の後には「右
は、今考えるに明日香より藤原の宮に遷りし後に、この歌を作るか」という説明書きがついている。一般に最初のところは、「わが友」と訳されているようです。明日香に住んでいた人を修飾しています。明日香が宮として栄えたのは長屋王が生まれる40-50年ほど前のことで、この歌が歌われるづっと前に明日香は寂れていたと考えられるので、長屋王の妃(複数)なる人が明日香に住んでいたとは考えにくい。そのため妃ではなくわが友となっているのだと思います。

 

第3巻371

意宇の海の 河原の千鳥 汝が鳴けば 我が佐保川の 思ほゆらくに


おうのうみの かはらのちどり ながなけば わがさほかはの おもほゆらくに
意味: 
意宇の海(島根県の宍道湖)の 河原の千鳥よ お前が鳴けば 私の佐保川(奈良市、大和郡山市)を 思い出すよ

作者:
門部王(かどべのおおきみ/かどべおう)門部王は子孫である。敏達天皇の子孫にも同名の人いたが、時代的に考えて前者。この歌は出雲守として出雲にいた門部王が宍道湖の千鳥を見て故郷の奈良を思い出して作った歌です。

第4巻526

千鳥鳴く 佐保の川瀬の さざれ波 やむ時もなし 我が恋ふらくは

りどりなく さほのかはせの さざれなみ やむときもなし あがこふらくは
意味:

千鳥が鳴く 佐保川の瀬の さざ波のように 止むときはありません 私があなたを恋しく思う気持ちは
作者:

大伴郎女(おおとものいらつめ)佐保川は前の句にも出て来たように奈良市、大和郡山市を流れる川です。大伴郎女は、万葉集中で女性としては、最大の84首の歌を残している。瀬は、川が浅くなって流れが速くなっている部分。

 

第4巻528

千鳥鳴く 佐保の川門の 瀬を広み 打橋渡す 汝が来と思へば

 

ちどりなく さほのかはとの せをひろみ うちはしわたす ながくとおもへば

意味:

千鳥が鳴く 佐保の渡り場の 浅瀬の広い場所に 板を渡して橋を作ります あなたが来ると思えば

作者:

大伴郎女(おおとものいらつめ)526番の歌と同じ作者の歌で類似の内容です。渡り場は、対岸に渡る場所。

 

第4巻618

さ夜中に 友呼ぶ千鳥 物思ふと わびをる時に 鳴きつつもとな

 

さよなかに ともよぶちとり ものもふと わびをるときに なきつつもとな

意味:

真夜中に 友を呼んで鳴く千鳥 物思いして 気落ちしているときに やたらと鳴き続ける

作者:

大神郎女(おおみわのいらつめ)大神郎女は、三輪山を大神神社(桜井市)の関係者のと思われるが詳細は不明。1505にも歌があるが、いずれも大神郎女が大伴宿祢家持に贈ったもの。大伴宿祢家持が大神郎女に贈ったものはない。

 

第4巻715

鳥鳴く 佐保の川門の 清き瀬を 馬うち渡し いつか通はむ

 

チドリ鳴く さほのかはとの きよきせを うまうちわたし いつかかよはむ

意味:

千鳥が鳴く 佐保の渡り場の 清い浅瀬を 馬を渡して いつかは通りたいものだ

作者:

大伴宿禰家持(おおとものすくねやかもち)この歌には「大伴宿祢家持が娘子に贈った歌七首」というタイトルが付いていて、女性に贈った歌ということがわかるが、525,528番の歌に似ているので、大伴郎女に贈った歌ではないかということが想像されます。

 

第6巻915

千鳥泣く み吉野川の 川音の やむ時なしに 思ほゆる君

 

ちどりなく みよしのかはの かはおとの やむときなしに おもほゆるきみ

意味:

千鳥が鳴く 吉野川の 川音のように 止む時がありません 君を思う気持ちは

作者:

この歌の作者は不明です。歌のタイトルは、「ある本の反歌に曰く」となっています。これまでの歌とどこか似ています。

 

第6巻920

1   あしひきの み山もさやに     あしひきの みやまもさやに
2   落ちたぎつ 吉野の川の      おちたぎつ よしののかはの
3   川の瀬の 清きを見れば      かはのせの きよきをみれば
4   上辺には 千鳥しば鳴く      かみへには チドリしばなく
5   下辺には かはづ妻呼ぶ      しもべには かはづつまよぶ
6   ももしきの 大宮人も       ももしきの おほみやひとも
7   をちこちに 繁にしあれば     をちこちに しじにしあれば
8   見るごとに あやに乏しみ     みるごとに あやにともしみ
9   玉葛 絶ゆることなく       たまかづら たゆることなく
10  万代に かくしもがもと      よろづよに かくしもがもと
11  天地の 神をぞ祈る 畏くあれども あめつちの かみをぞいのる かしこくあれども

 

意味:

   山すそを長く引く 美しい山もはっきりと

   激しく水が落ちる 吉野川の
   川の瀬の 清さを見れば

   上流では 千鳥がしきりに鳴く
   下流では 蛙が妻を呼ぶ

   宮中の 宮に仕える官人も

   あちらこちらに たくさんいれば

   見る度に 言い表しようがなく うらやましく思う

   葛の蔓のように 絶ゆることなく

10  限りなく長い年月を こうでありたいと
11
  天地の 神に祈る 恐れ多くあれども

作者:

笠朝臣金村(かさのあそんかなむら)笠朝臣金村の歌は万葉集に2巻から9巻の42首が記録されている。この歌には、「神亀二年乙丑の夏の五月に、吉野の離宮に幸す時に、笠朝臣金村が作る歌1首」というタイトルが付いている。神亀2年は聖武天皇が即位した翌年です。吉野の離宮は、曾祖父母(天武天皇と持統天皇)が壬申の乱を開始した土地であり、二人の思い出の地です。持統天皇は天武天皇の亡くなったあと、何度も行幸したと伝えられている。持統天皇の最後のときには聖武天皇は、生まれてまもない時期で、記憶が残るような状態ではなかったが天武天皇を継ぐ初めての男子天皇ということで、天武天皇を考えて即位の翌年には宮滝を行幸するのは、至極当然なことであったのでしょう。

 

第6巻925

ぬばたまの 夜の更けゆけば 久木生ふる 清き川原に 千鳥しば鳴く

 

ぬばたまの よのふけゆけば ひさぎおふる きよきかはらに ちどりしばなく

意味:

真っ暗な 夜が更けて行けば アカメガシワが生えている 綺麗な河原に 千鳥がしきりに鳴きます

作者:

山部宿祢赤人(やまべのすくねあかひと)この歌は、「山部宿祢赤人が作る歌併せて短歌」という長歌と反歌2首の内の2番目の反歌です。この歌に対する長歌は、920と類似の天皇を賛美する歌で吉野の自然のすばらしさを歌っています。この歌で歌われている久木(ヒサギ)は、アカメガシワのことです。アカメガシワは空き地の雑草と一緒に生えている。高木であり、成長すると、5-10mにもなるという。

アカメガシワ