第15巻3654

可之布江に 鶴鳴き渡る 志賀の浦に 沖つ白波 立ちし来らしも


かしふえに たづなきわたる しかのうらに おきつしらなみ たちしくらしも


意味:

可之布江(福岡市香椎の入江か)に 鶴が鳴きながら渡って行く 志賀(福岡市の志賀の島)の浦に 沖の白波が 立って来るらしい


作者:

築紫の館(博多湾沿岸にあった館、外国使節・官人の接待や宿泊に用いた)に至りて本郷を望み悲しみて作る歌4首という中に書かれているが、作者は不詳

第17巻4018

港風 寒く吹くらし 奈呉の江に 妻呼び交し 鶴多に鳴く(別の読み方では 鶴騒くなり)

みなとかぜ さむくふくらし なごのえに つまよびかはし たづさはになく(たづさわくなり)


意味: 

河口に吹く風は 寒いらしい 奈呉の江(高岡市から新湊市にかけての海岸)に 妻を呼び交わして 鶴がたくさん鳴いている
作者:

この歌は、天平20年の春の正月29日に、大伴宿禰家持が作った歌です。


第18巻4034

奈呉の海に 潮の早干ば あさりしに 出でむと鶴は 今ぞ鳴くなる

なごのうみに しほのはやひば あさりしに いでむとたづは いまぞなくなる
意味: 

奈呉の江(高岡市から新湊市の海岸)は 潮の引くのが早いので 餌を取りに 出かけようと 今鶴が鳴く
作者:

田辺史福麻呂(たなべのふひとさきまろ)奈良時代の万葉歌人、748年(天平20年)橘諸兄の使者として越中守・大伴家持のもとを訪れている。このとき、大伴宿禰家持が館にて接待したときに古い歌を歌い新しい歌を作ったときの歌です。

第18巻4116

1   大君の 任きのまにまに      おほきみの まきのまにまに
2   取り持ちて 仕ふる国の      
とりもちて つかふるくにの
3   年の内の 事かたね持ち      
としのうちの ことかたねもち
4   玉桙の 道に出で立ち       
たまほこの みちにいでたち
5   岩根踏み 山越え野行き      
いはねふみ やまこえのゆき
6   都辺に 参ゐし我が背を      
みやこへに まゐしわがせを
7   あらたまの 年行き返り      
あらたまの としゆきがへり
8   月重ね 見ぬ日さまねみ      
つきかさね みぬひさまねみ
9   恋ふるそら 安くしあらねば    
こふるそら やすくしあらねば
10  霍公鳥 来鳴く五月の       
ほととぎす きなくさつきの
11  あやめぐさ 蓬かづらき      
あやめぐさ よもぎかづらき
12  酒みづき 遊びなぐれど      
さかみづき あそびなぐれど
13  射水川 雪消溢りて        
いみづかは ゆきげはふりて
14  行く水の いや増しにのみ     
ゆくみづの いやましにのみ
15  鶴が鳴く 奈呉江の菅の      
たづがなく なごえのすげの
16  ねもころに 思ひ結ぼれ      
ねもころに おもひむすぼれ
17  嘆きつつ 我が待つ君が      
なげきつつ あがまつきみが
18  事終り 帰り罷りて        
ことをはり かへりまかりて
19  夏の野の さ百合の花の      
なつののの さゆりのはなの
20  花笑みに にふぶに笑みて     
はなゑみに にふぶにゑみて
21  逢はしたる 今日を始めて     
あはしたる けふをはじめて
22  鏡なす かくし常見む 面変りせず 
かがみなす かくしつねみむ おもがはりせず

意味:
1   天皇陛下の 与えた仕事の通りに
2   取り仕切って お仕えする国の
3   年内の 政務報告書を持って
4   素晴らしい 道に旅に立つ
5   岩や根を踏み 山を越え野を行き
6   都に 参上した主人を
7   新しく素晴らしい 年が変わり
8   月が重なり 逢えない日が長くなるので
9   恋しく悲しく 心が穏やかでない
10  ホトトギスが 来て鳴く五月の
11  アヤメ草 ヨモギを髪飾りにして
12  酒を飲んで 気を静めようと遊んだけれども
13  射水川(今の小矢部川、富山県西部)は 雪溶水があふれ
14  流れて行く水が(あなたへの恋しさを意味している) いよいよ増すばかりだ
15  鶴が鳴く 奈呉江(富山県新湊市の西部海浜)のスゲ(雑草、カヤツリグサ科)の
16  完全に 思いが塞(ふさ)がれ
17  嘆きながら 私が待っているあなたが
18  仕事が終わって 都から帰って
19  夏の野の 百合の花が咲くように
20  花が咲くような笑みで にこにこと笑顔作り
21  逢ってくださる 今日から
22  鏡を見るように このまま常に逢っていたい 年をとって顔が変わることもなく
作者:

稼久米朝巨広繻(じょうくめのあそみひろつな)が天平20年(748年、聖武天皇の時代)に、律令制のルールで任地の前年の8月1日より1年間の業務評価に必要な資料などの行政文書の提出や行政報告のために中央に派遣された使者と一緒に京に入った。報告が終わって、天平感宝元年の閏5月27日(この年は5月が2回あった)に元の任地に帰る。そこで長官の館に詩酒の宴を設けて楽しく飲んだ。そのときに主人守大伴宿禰家持(おおとものすくねやかもち)が作った歌。

第20巻4398

1    大君の 命畏み              おほきみの みことかしこみ
2    妻別れ 悲しくはあれど          
つまわかれ かなしくはあれど
3    大夫の 心振り起し            
ますらをの こころふりおこし
4    取り装ひ 門出をすれば          
とりよそひ かどでをすれば
5    たらちねの 母掻き撫で          
たらちねの ははかきなで
6    若草の 妻は取り付き           
わかくさの つまはとりつき
7    平らけく 我れは斎はむ          
たひらけく われはいははむ
8    ま幸くて 早帰り来と           
まさきくて はやかへりこと
9    真袖もち 涙を拭ひ            
まそでもち なみだをのごひ
10   むせひつつ 言問ひすれば                   
むせひつつ ことどひすれば
11   群鳥の 出で立ちかてに          
むらとりの いでたちかてに
12   とどこほり かへり見しつつ        
とどこほり かへりみしつつ
13   いや遠に 国を来離れ           
いやとほに くにをきはなれ
14   いや高に 山を越え過ぎ          
いやたかに やまをこえすぎ
15   葦が散る 難波に来居て          
あしがちる なにはにきゐて
16   夕潮に 船を浮けすゑ           
ゆふしほに ふねをうけすゑ
17   朝なぎに 舳向け漕がむと         
あさなぎに へむけこがむと
18   さもらふと 我が居る時に         
さもらふと わがをるときに
19   春霞 島廻に立ちて            
はるかすみ しまみにたちて
20   鶴が音の 悲しく鳴けば          
たづがねの かなしくなけば
21   はろはろに 家を思ひ出          
はろはろに いへをおもひで
22   負ひ征矢の そよと鳴るまで 嘆きつるかも 
おひそやの そよとなるまで なげきつるかも

意味:
1    天皇陛下の 命令に従い
2    妻と別れたことは 悲しかったけれども
3    りっぱな男子の 心を振り起し
4    身支度をして 門出をすれば
5    年老いた 母は頭をかきなでる
6    心寄せる 妻は取り付いて
7    心穏やかに わたくしは祈りを捧げる
8    無事に 早く帰って来なさいと
9    両袖をもって 涙をはらい
10   むせびながら 語り合えば
11   朝ねぐらを飛び立つ鳥のように 門を出たとしても
12   止まってしまい 振り返って見ながら
13   いやはや遠く 国を離れて
14   いやはや高く 山を越えて過ぎて
15   葦の多い 難波に来て住み
16   夕潮に 船を浮かべて止めて
17   朝なぎに 船首を向けて船を漕ごうと
18   待ちうかがって いるときに
19   春の霞が 島の廻りに立って
20   鶴の声が 悲しく鳴けば
21   はるばると遠くの 故郷の家を思い出して
22   背負った鋭い矢が 風の音を出す程に 嘆いてしまう
作者:

兵部少輔(ひょうぶしょうゆう、軍政(国防)を司る行政機関)の大伴家持(おおとものやかもち)が防人の気持ちになって思いを述べて作った歌、防人になったということは、生きて帰れない可能性が高い。

第20巻4399

海原に 霞たなびき 鶴が音の 悲しき宵は 国辺し思ほゆ


うなはらに かすみたなびき たづがねの かなしきよひは くにへしおもほゆ
意味:

海原に 霞がたなびき 鶴の声が 悲しい宵は 故郷を思い出す
作者:

兵部少輔(ひょうぶしょうゆう)の大伴家持(おおとものやかもち)が前の4398の歌の反歌として作った歌です。よって、この歌は4398の長歌の要約をしたものです。長歌に添付される反歌は、長歌の要約、補足するものが多い。
 


第20巻4400

家思ふと 寐を寝ず居れば 鶴が鳴く 葦辺も見えず 春の霞に


いへおもふと いをねずをれば たづがなく あしへもみえず はるのかすみに


意味:

家を思って 寐ても寝られないでいると 鶴が鳴く 葦辺は見えない 春の霞のために
作者:

この歌も兵部少輔(ひょうぶしょうゆう)の大伴家持(おおとものやかもち)が前の4398の歌の反歌として作った歌です。よってこの歌は4398の長歌の要約をしたものです。長歌に添付される反歌は、長歌の要約、補足するものが多い。