前玉神社は、浅間塚古墳の上にあるが、古墳の中腹には、浅間神社がある。埼玉神社は、出雲系の神社だが、浅間神社は、天皇家を起源とする神社です。この神社は、忍城の中にあった浅間神社を勧請したものとされる。

行田では、かつて前玉神社のことを、「さきたまの浅間さん」と呼んで親しんでいた。多くの浅間神社は、こどもが生まれると、1歳になる前に、初山参りとして、健やかな成長を願って浅間神社にお参りに行き、ハンコを額に押して貰い、専用のうちわを購入して、近所の人や親戚に配る。この風習はこの浅間神社でも続いている。

  

浅間神社の祭神は、 木花之佐久夜毘売命(このはなのさくやひめのみこと)です。木花之佐久夜毘売命は、天孫降臨したニニギノミコトが一目ぼれした美人で、富士山の神霊と言われる。江戸時代には、浅間信仰や富士講が盛んに行われ、前玉神社の周辺では、富士山という名前が今も使われている。代表的なものは、「富士山バス停」「富士山農村センター」などがある。

  

この富士山信仰は、現在の埼玉火祭りに繋がります。その系譜を古事記を基に少し説明します。次の図に、 木花之佐久夜毘売命を含む皇室の系譜を示します。木花之佐久夜毘売命の子が、神話の海幸彦と山幸彦になり、孫が最初の天皇、神武天皇になることに注意してください。

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古事記の関連する部分の記述は、次の場所にあります。

上つ巻 6章 邇邇芸命 木花之佐久夜毘売命

この部分には次のようなことが書かれています。

木花之佐久夜毘売命が申し出ていうには、「わたくしは妊娠しまして、今、子を産む時になりました。これは天の神の御子ですから、勝手にお生み申し上ぐべきではございません。そこでこの事を申し上げます。」これに対し邇邇芸命は、「佐久夜毘売よ、一夜ではらんだというが、国の神の子ではないか」と仰せになったので「わたしのはらんでいる子が国の神の子ならば、生まれるときに無事ではないでしょう。もし、天の神の御子であったら、無事でありましょう」と言って、戸口の無い大きな家を作って中にお入りになり、粘土ですっかり塗りふさいで、お生みになる時にその家に火をつけた。こうして、3人の御子がお生まれになりました。

ここで、「天の神の子」「国の神の子」という言葉が出て来ますが、「国の神の子」は「日本にいる万(よろず)の神の子」で「天の神の子」は天孫降臨させている天の神の世界の子です。邇邇芸命は、日本を治めるために天孫降臨して来たので、天の神ということになります。よって、ここでは、生まれてくる子が、邇邇芸命の子であるか、日本の他の神の子かが、問題になりましたが、火の中でも無事に生まれたので、「天の神の子」ということで、邇邇芸命の子であることが確認されたということになりました。

「天の神」は、別の言葉でいうと、「皇室の神」ということになりますが、焼けても無事ですが、「万の神」は、焼けると死んでしまうという違いがありそうですね。

この産屋での出来事が、埼玉火祭りで再現されているわけです。

埼玉火祭り、産屋の火事

埼玉県では、この木花之佐久夜毘売命をモデルにしたアニメキャラクター「サクヤ」を作り埼玉の観光をPRしている。ちなみにサクヤは、緑髪に勾玉のネックレスを付けた古代衣装を着けたキャラクターで、埼玉県名発祥の地の浅間神社の木花之佐久夜毘売命と深い関わりを持っている。

 

埼玉県名発祥の地の碑          浅間神社の木花之佐久夜毘売命

埼玉県の観光PRアニメ「サクヤ」