万葉集で鵜に関連する歌には、鵜を歌った歌、鵜飼いを歌った歌、鵜の付く地名(川の名)が出て来る歌などがあるが、ここでは、鵜を歌った歌、鵜飼いを歌った歌の2種類を取り上げることにした。鵜の歌では、圧倒的に鵜飼いを歌った歌が多く、ほとんどは、大伴宿禰家持の歌である。
現在、鵜飼いに使う鵜は、海鵜だという話が一般的であり、野鳥図鑑などにもそのうように書いてある。日本以外を考えると川鵜も鵜飼いに使われているようだ。
JR行田駅の南には荒川がある。川幅は1200メートルくらいあるが、土手の上から川の中を見ると600メートル程のところにこんもりとした屋敷林が多数見える。ここはかっての新川村の跡で、現在は洪水防止のために川幅を広げたので、川の中の村になってしまい廃村になっている。村人は住んでいない。しかし、現在も昔の家や農地がそのまま残っているし、電気も来ているらしい。農地はかっての持ち主が耕しているという。この村の古い家に長島家がある。この長島家は、職業として鵜を訓練して岐阜の長良川に調教済の鵜を販売していたらしい。新川村が廃村になったのは戦後であり、この頃まで、荒川では、鵜飼いや鵜の訓練が行われていたと思われる。ここで使われた鵜は荒川の鵜、すなわち川鵜であったと思われる。よって、日本では比較的最近まで、川鵜も使われていたと思われる。川鵜と海鵜の違いは、体の大きさで、収量では海鵜の方が勝るようです。よって現在でもこの地方には、鵜がたくさん生息している。
新川村の長島家の跡
長島家の説明