カイツブリは、鴨と同じように水に浮く水鳥ですが、鴨に比較すると人間に対して臆病です。水に潜水して小魚や水中昆虫、ザリガニなどを取りますが、川の岸辺で潜水してから浮き上がったときに、近くにいる人間がいると、慌てて再度潜ってしまいます。人間から見るとカメラを構える暇もなく潜ってしまいますので写真撮影は困難を伴います。写真が撮れるのは川の反対側にいるような場合で、その場合は、距離があるので写真撮影は難しくなります。
カイツブリは身長26cmで通常の鴨よりも少し小型です。頭や体が茶色で、目の廻りが白く縁取りされていることが特徴でかわいい雰囲気があります。
万葉集ではカイツブリの名前は、にほ鳥、しなが鳥、やさか鳥と呼ばれています。前の章の第14巻3527には八尺(やさか)鳥が出てきました。これまでの章では、鷺や鴨のように複数の鳥が鴨という名前で代表されていましたが、カイツブリの場合は、同じ種類の鳥が古代には、いろいろな名前で呼ばれていました。
さらにカイツブリの場合は、カイツブリの名前が地名の枕ことばとして使わているものがあります。一般的に意味は不明と説明されていますが、カイツブリが良く見られた地名にカイツブリを付けて表現したものと考えることもできます。
カイツブリを枕ことばとした地名に、猪名野、猪名の港、猪名山がありますが、これらの猪名が付く場所は、伊丹市、尼崎市、吹田市にかけての大阪湾に近い淀川の河口近くの領域で、淀川の乱流により水路が無数にあり水が豊富な地域であったと考えられます。3386の葛飾郡についても関東平野でかっての利根川が東京湾に向かうところで水害も多く、川の乱流で水路が無数にあるような水が豊富だったところと考えられます。このような地域には、水鳥が多くカイツブリもいたと考えられます。
安房国については、千葉県の館山近くにあたり、川の水が豊富というよりは、半島の南の先端に当たりさらに南へ渡る鳥の集まるところ、または、北から来た野鳥がその先に進めなくなるところということで、やはり野鳥が多いところと考えことができます。カイツブリが多かったとすれば、北から来たカイツブリがその先に進めなくなり結果として多くなったのではないかと考えます。ちなみにカイツブリは、海より河川に住みます。分布は全国ですが、冬は本州以南です。漂鳥で季節により住む場所を変えています。
それぞれの地点とカイツブリとの関係は少しの歌で歌われているだけのことですので明確ではありませんが、その場所にカイツブリが住んでいた、または、たくさん住んでいたというようなことかと思います。
忍川のカイツブリも数はそれほど多くはありませんが、その姿に加えて人間嫌いな行動が可愛く、または鴨に比較すると希少価値があることなどから目を引く鳥であることは確かです。
並んで泳ぐカイツブリ
4458の息長川については、息長川という名前の川があったかどうかは確かではありませんが、カイツブリが住んでいたことよりも同じ漢字を使う息長(しなが)鳥を息長(おきなが)川にかけて歌ったと考えます。
以下では、カイツブリが歌われている歌を解説します。