第4巻486

山の端に あぢ群騒き 行くなれど 吾れは寂しゑ 君にしあらねば

やまのはに あぢむらさわき ゆくなれど われはさぶしゑ きみにしあらねば

意味:

山の端の方で トモエガモの群れが騒いで 人が行くけれど 私は寂しい 君ではないので

作者:

岡本天皇(をかもとのすめらみこと)、この歌は、この前の歌、485の反歌であるので、作者は485と同じである。内容的には、485の要約したものになっている。

 

第4巻711

鴨鳥の 遊ぶこの池に 木の葉落ちて 浮きたる心 我が思はなくに

かもどりの あそぶこのいけに このはおちて うきたるこころ わがおもはなくに

意味:

鴨の 遊ぶこの池に 木の葉が落ちて浮かぶ そのように浮いた心で 私は思っているのではありません

作者:

丹波大女娘子(たにはのおほめをとめ)の歌。711、712、713と丹波大女娘子の歌が続く。いずれも会えない相手へ慕う心を歌った相問歌で誰に贈ったものかは不明であるが歌の配置からすると家持の可能性も高いが、この歌に対する応答ははっきりしない。大郎女は貴人の長女のことです。丹波大女娘子の歌碑も埼玉緑道にある。内容は同様に会えない人を歌っている。

埼玉緑道の丹波大郎女の歌

 

第4巻726

外に居て 恋ひつつあらずは 君が家の 池に住むといふ 鴨にあらましを

 

よそにゐて こひつつあらずは きみがいへの いけにすむといふ かもにあらましを

意味:

宮の外にいて あなたを恋しているのではなく あなたの家の 池に住むという 鴨になりたいです

作者:

大伴坂上郎女(おおとものさかのうえのいらつめ)が春日の里(坂上郎女の別宅の地)にて作った歌で、聖武天皇に献った2つの歌の一つ。男から女に贈った歌のような内容であるが、天皇を恋歌仕立てで献っている。

キンクロハジロ

第7巻1227

礒に立ち 沖辺を見れば 藻刈り舟 海人漕ぎ出らし 鴨翔る見ゆ

 

いそにたち おきへをみれば めかりぶね あまこぎづらし かもかけるみゆ

意味:

磯に立って 沖の方を見ると 藻刈り船を 海人が漕ぎだしたらしい 鴨が急に飛び立つのが見える

作者:

不詳。この歌は「旅(羇旅、きりょ)にして作る」という50首の中の歌です。

 

第7巻1299

あぢ群の とをよる海に 舟浮けて 白玉採ると 人に知らゆな

 

あぢむらの とをよるうみに ふねうけて しらたまとると ひとにしらゆな

意味:

トモエガモの群れの 揺れ動く海に 船を浮かべて 真珠を取ろうしているが 人に知られるな

トモエガモの群のように 口うるさい 世間の中で 美女を射止めようとしているが 人に知られるな

作者:

不詳、この歌は、「譬喩(ひゆ)歌」という部門にある歌である。譬喩の意味は、「たとえる、別の物事と借りて言い表すこと」である。よって、意味の部分には、表面的な意味と、本当の意味の二つを記載した。この歌のタイトルは「玉に寄する」となっているが、玉とは、真珠、すなわち美女を表している。「人に知られるな」の意味は美女の親に知られるなの解釈もできる。

 

第8巻1451

水鳥の 鴨の羽色の 春山の おほつかなくも 思ほゆるかも

 

みづどりの かものはいろの はるやまの おほつかなくも おもほゆるかも

意味: 水鳥の 鴨の羽色の 春の山のように あなたの気持ちははっきりしないように 思われます

作者: 笠 女郎(かさのいらつめ)が大伴宿祢家持に贈った歌です。笠 女郎が大伴宿祢家持に贈った歌は、2章の鶴の0588にも出てきました。大伴宿祢家持への気持ちはどちらもおぼつかないもので最後はうまく行かなかったようです。

 

第9巻1744

埼玉の 小埼の沼に 鴨ぞ羽霧る おのが尾に 降り置ける霜を 掃ふとにあらし

さきたまの をさきのぬまに かもぞはねきる おのがをに ふりおけるしもを はらふとにあらし
意味: 
さきたまの 小崎の沼に 鴨が羽ばたいて水しぶきを上げる 自分の尾に 降り下りた霜を 掃い飛ばそうとしているようだ

作者:

高橋連虫麻呂(たかはしのむらじむしまろ)、この歌は高橋連虫麻呂歌集から取られた歌です。この歌の前後には、高橋連虫麻呂の歌が続く(1738-1760)。高橋連虫麻呂は、藤原宇合(ふじわらのうまかい、藤原不比等の3男、藤原4兄弟の一人で、4人が相次いで天然痘で亡くなったことは有名)の部下であった可能性がある。地方を歩いたときの歌が多い。また、各地の民話を長歌にしている。長歌で有名なのは、1740の浦島太郎、1809の菟原娘子(うなひをとめ)などがある。

鴨が羽ばたいて水しぶきを上げるカルガモの様子

 

この歌における埼玉の小崎の沼は、埼玉県行田市埼玉付近にあったとされる沼で、埼玉県指定旧跡になったいる。

 

埼玉県指定旧跡 小崎沼の道案内

万葉遺跡 小崎沼

くぼんだ部分が沼の跡

 

 

 

現在の小崎沼全景

写真小崎沼遺跡の説明には、この小埼沼が東京湾から繋がっていた埼玉の津であったような可能性が記載されているが、最近では、この考え方は否定されている。沼と津は別もので、津の場合は、船着き場を意味しているので名前から小崎沼と埼玉の津を同じとするには無理があると思う。現在では、港湾機能を持った行田市大字野の築道下遺跡が埼玉の津として有力になっている。

参考ページ

http://irikurafc2.blog.fc2.com/blog-entry-605.html

 

もう一つの可能性は小針遺跡の中に埼玉の津があったという考えかたである。

http://irikurafc2.blog.fc2.com/blog-entry-601.html

 

小針遺跡は、埼玉古墳を作成した人たちが住んでいた場所ということで古墳時代の遺跡であり、この時代と万葉の時代とは、150年から200年程の誤差があり、その時代も小針遺跡の村落が津などを構築する状態で栄えていたかどうかは疑問がある。

 

当時の小針沼の状態は不明であるが、後の時代、小針沼は水源として、上流からの悪水の流入を防ぎ、下流での悪水の混合を防ぐようにして大切にされていた。現在の小針落としが悪水である旧忍川を越える場合も伏せ越えにして悪水との混合を防いでいる。

 

ちなみに埼玉の津を歌った歌は次の通りです。

 

14巻3380

埼玉の 津に居る船の 風をいたみ 綱は絶ゆとも 言な絶えそね

さきたまの つにをるふねの かぜをいたみ つなはたゆとも ことなたえそね       

意味:

埼玉の 船着き場にいる船の 風が強く 船を繋いでいる綱が切れても あなたからの手紙は絶えないで欲しい

 

この歌の本当の意味は、どんなことなのでしょうか。防人として戦いのために船に乗って出征した男性を慕う女性の歌のようにも

思えます。

 

 

第11巻2720

水鳥の 鴨の棲む池の 下樋なみ いぶせき君を 今日見つるかも

 

みづとりの かものすむいけの したびなみ いぶせききみを けふみつるかも

意味:

水鳥の 鴨の住む池の 水はけの地下の樋がないように 気持ちが晴れずに待っている君を 今日見てしまっ

作者:

この歌の作者は不明です。2445から2730までは沼・池・しがらみに寄せる恋などが歌われています。

 

第11巻2751

あぢの住む  渚沙の入江の  荒礒松  吾を待つ子らは  ただ独りのみ

 

あぢのすむ すさのいりえの ありそまつ あをまつこらは ただひとりのみ
意味: 
トモエガモの住む 須佐の入り江(
南知多町豊浜の古称)の 荒磯の松のように 私を待つ人は 一人だけです 

作者:

この歌の作者は不明です。この歌の「吾を待つ子らは」の「子ら」は子供たちの意味の場合もあるし、家族的な意味を含めて子や妻を含めていう場合もあるようです。この歌のケースが妻か子かは不明です。

 

第11巻2804

高山に たかべさ渡り 高々に 我が待つ君を 待ち出でむかも 

 

たかやまに たかべさわたり たかたかに わがまつきみを まちいでむかも

意味:

高い山に コガモが渡り 高いところから爪を立てて 私が待っている君が 出てくるのを待っている

作者:

この歌の作者は不明です。ある本の歌に曰くというタイトルの部分に記載されています。自分をたかべ(沈鳧・鸍・鳬)に比喩して、自分が君を待つ様子を歌っています。たかべは、コガモの古名です。コガモは大きさが34-38cm程度で雌は少し小さいです。カルガモが61cm程度なのに比較すると小さく見えます。

コガモ(奥 雄、手前 雌)