万葉歌碑(石燈籠)がある浅間塚古墳(せんげんづかこふん)は、埼玉県行田市にある円墳です。
7世紀前半頃築造されました。一説には、5-6世紀、安閑天皇、宣化天皇あるいは雄略天皇の頃とも言われています。
埼玉古墳群のすぐ東にあるため、古墳群の一部とされることもあります
墳頂に埼玉(さきたま)古墳群を守るように「前玉(さきたま)神社」が鎮座しています。
前玉神社本社に登る階段をはさむように、元禄10年(1697年)10月15日、地元の埼玉村の氏子たちが所願成就を記念して奉納した2つの燈籠があります。高さは180センチメートル。
石燈籠の竿(さお=台石の上の火袋などをささえる柱状の細長い石)には、この地を詠んだ万葉集の歌、「小崎沼(おさきぬま)」と「埼玉の津」(さきたまのつ)が刻まれています。
300年以上たった今でも「佐吉多万(さきたま)」や「元禄十年」という文字がはっきり読めます。
下の写真をクリックすると動画でご覧頂けます。
万葉燈籠
右側「埼玉の津」の碑
『佐吉多万能
津爾乎流布禰乃
可是乎伊多美
都奈波多由登毛
許登奈多延曽禰』
埼玉(さきたま)の
津(つ)に居(を)る船の
風をいたみ
綱は絶ゆとも
言(こと)な絶えそね
巻十四 三三八〇 (万葉集 相聞歌)
◇ 訳 ・・・
埼玉の
渡し場に 停まっている船の
(船を留めておくためのその)
綱が、 烈しく吹く風のために
切れることがあっても、
私たちの恋は 切れて絶えないでおくれ
(例え二人は逢えずとも、 決して心伝える便りは
絶やさないで下さい)。
◇ 解釈・・・・・
現在の 行田市下中条のあたりが 詠まれた地である。
利根川の流路の 船着き場であり、下総の国府から来た 水路で かなり賑わいがあったと思われる。
現在の行田市も、利根川土手あたりをはじめ赤城颪(おろし)のように 烈しく風が吹く。
北風の強いときは自転車を漕いでも、風に向かうと全然進めないくらいである。
そのことを考えると烈しく吹く風の中で揺れたり 激しく船に叩きつけられている「もやいの綱」を
見ている実感が伝わってくる歌である。
左側「小埼沼」の碑
『前玉之
小埼乃沼爾
鴨曽翼霧
己尾爾
零置流霜乎
掃等爾有欺』
埼玉の
小埼の沼に
鴨そ翼(はね)霧(き)る
己(おの)が尾に
降りおける霜(しも)を
払(はら)ふとにあらし
巻十四 三三八〇
(万葉集 旋頭歌)
◇ 訳 ・・・・・
埼玉の小埼の沼で、
鴨が羽ばたきをして
水しぶきを上げている。
自分の尾にふり降りた霜を
払おうとしていようだ。
◇ 解釈 ・・・・・
(作者といわれる高橋)虫麻呂は常陸の国守 藤原宇合(うまかい)の臣下であり、 ここ埼玉以外でも、美里町広木で歌を詠んでいる。
公用の旅で訪れたときに、目に触れた情景に対して感じたままに歌を詠んだのであろう。
万葉歌の解釈は前玉神社ホームページより許可を得て掲載