第8巻1486
我が宿の 花橘を 霍公鳥 来鳴かず地に 散らしてむとか
わがやどの はなたちばなを ほととぎす きなかずつちに ちらしてむとか
意味:
私の家の 花橘を ホトトギスは 来もしないで鳴きもしないで地に 散らしてしまうおというのか
作者:
大伴宿禰家持(おおとものすくねやかもち)ホトトギスは、花橘、卯(う)の花、藤(ふじ)の花、菖蒲などと同時に歌われることが多い。ホトトギスは、カッコウ目・カッコウ科に分類され、4-5月頃に夏鳥として、九州以北に渡来する。
第8巻1487
霍公鳥 思はずありき 木の暗の かくなるまでに 何か来鳴かぬ
ほととぎす おもはずありき このくれの かくなるまでに なにかきなかぬ
意味:
ホトトギスよ 私は思いもしなかった 夏の木が茂って暗く このようになるまでに 何故来て鳴かないのか
作者:
大伴宿禰家持(おおとものすくねやかもち)この歌と前に歌を合わせて、タイトルは大伴家持、ホトトギスの遅く鳴くを恨(うら)むる歌となっています。
第8巻1488
いづくには 鳴きもしにけむ 霍公鳥 我家の里に 今日のみぞ鳴く
いづくには なきもしにけむ ほととぎす わぎへのさとに けふのみぞなく
意味:
どこか別の場所では 鳴いてもいただろう ホトトギスは 我が家の里には 今日はじめて鳴くよ
作者:
大伴宿禰家持(おおとものすくねやかもち)この歌のタイトルは、大伴家持、ホトトギスをよろこぶる歌となっています。
第8巻1490
霍公鳥 待てど来鳴かず 菖蒲草 玉に貫く日を いまだ遠みか
ほととぎす まてどきなかず あやめぐさ たまにぬくひを いまだとほみか
意味:
ホトトギスを 待っても来て鳴かない アヤメの花を 薬玉に混ぜて貫く日(端午の節句)は いまだに遠いか
作者:
大伴宿禰家持(おおとものすくねやかもち)この歌のタイトルは、大伴家持、ホトトギスとなっている。
第8巻1491
卯の花の 過ぎば惜しみか 霍公鳥 雨間も置かず こゆ鳴き渡る
うのはなの すぎばをしみか ほととぎす あままもおかず こゆなきわたる
意味:
卯の花が 過ぎてしまうの惜しんでか ホトトギスは 雨の間もいとわずに よく鳴き渡ります
作者:
大伴宿禰家持(おおとものすくねやかもち)この歌のタイトルは、大伴家持、雨日にホトトギスの鳴くのを聞くとなっています。
第8巻1493
我が宿の 花橘を 霍公鳥 来鳴き響めて 本に散らしつ
わがやどの はなたちばなを ほととぎす きなきとよめて もとにちらしつ
意味:
私の家の 花橘を ホトトギスよ 来て鳴き声を響かせて 根元に散らばらせてしまっておくれ
作者:
大伴村上(おおとものむらかみ)万葉集に4首の歌がある。こののタイトルは、大伴村上が橘の歌一首となっている。
第8巻1494
夏山の 木末の茂に 霍公鳥 鳴き響むなる 声の遥けさ
なつやまの こぬれのしげに ほととぎす なきとよむなる こゑのはるけさ
意味:
夏山の こずえ(枝の先端)の茂っているところの ホトトギス 鳴き響く 声が遠くに届くことよ
作者:
大伴宿禰家持(おおとものすくねやかもち)この歌のタイトルは、大伴家持がホトトギスの歌となっている。
第8巻1495
あしひきの 木の間立ち潜く 霍公鳥 かく聞きそめて 後恋ひむかも
あしひきの このまたちくく ほととぎす かくききそめて のちこひむかも
意味:
山の 木木の間に止まったり隠れたりする ホトトギスよ このように聞きはじめ そして密かに恋してしまうかも
作者:
大伴宿禰家持(おおとものすくねやかもち)この歌のタイトルは、前の歌と同じ大伴家持がホトトギスの歌となっている。
第8巻1497
筑波嶺に 我が行けりせば 霍公鳥 山彦響め 鳴かましやそれ
つくはねに わがゆけりせば ほととぎす やまびことよめ なかましやそれ
意味:
筑波山に 私がもし行ったならば ホトトギスよ 山彦を響かせて さあ鳴いておくれ
作者:
高橋虫麻呂(たかはし の むしまろ)この歌のタイトルは、筑波山にのぼらざりしことを惜しむ歌となっている。高橋虫麻呂の歌には、鳥を歌った歌や、地方の伝説を歌った歌が多い。高橋虫麻呂の歌は、万葉集に36首あり、これまでも何度も取り上げて来た。
第8巻1498
暇なみ 来まさぬ君に 霍公鳥 我れかく恋ふと 行きて告げこそ
いとまなみ きまさぬきみに ほととぎす あれかくこふと ゆきてつげこそ
意味:
暇がないので 来られない君に ホトトギスよ 私がこんなにも恋していると 行って告げてよ
作者:
大伴坂上郎女(おおとものさかのうえのいらつめ)この歌のタイトルは、単純で大伴坂上郎女歌一首となっています。万葉集中に、大伴坂上郎女の歌は85首あり、万葉集中で女性の作った歌の数では最大です。