第8巻1473
橘の 花散る里の 霍公鳥 片恋しつつ 鳴く日しぞ多き
たちばなの はなちるさとの ほととぎす かたこひしつつ なくひしぞおほき
意味:
たちばな(みかんの一種)の 花散る里の ホトトギス 片思いしながら 鳴く日が多い
作者:
大伴旅人(おおとものたびびと) たちばなとホトトギスは、取り合わせの風景とされたが、前の歌と同様に大伴旅人と大伴郎女の組み合わせを暗示している。片恋は、大伴旅人が亡くなった大伴郎女を思っていることを歌っている。この歌のタイトルは大宰師大伴卿が和(こた)える歌となっていて、1472の歌への応答です。
第8巻1474
今もかも 大城の山に 霍公鳥 鳴き響むらむ 我れなけれども
いまもかも おほきのやまに ほととぎす なきとよむらむ われなけれども
意味:
今も 大城山(大宰府近く)で ホトトギスが 鳴き騒いでいるでしょう 私はいないですけれど
作者:
大伴坂上女郎(おおとものさかのうえのいらつめ)大宰府で妻を亡くした大伴旅人のところに嫁ぐ(何度目かの再婚)。万葉集中に85首の歌を残す。この歌のタイトルは、大伴坂上郎女、築紫の大城の山を思う歌となっている。
第8巻1475
何しかも ここだく恋ふる 霍公鳥 鳴く声聞けば 恋こそまされ
なにしかも ここだくこふる ほととぎす なくこゑきけば こひこそまされ
意味:
何でそのように こんなにも恋うるのか ホトトギスの 鳴き声を聞けば 恋に夢中になってしまう
作者:
大伴坂上女郎(おおとものさかのうえのいらつめ)この歌のタイトルは、大伴坂上郎女のホトトギスの歌となっている。
第8巻1476
ひとり居て 物思ふ宵に 霍公鳥 こゆ鳴き渡る 心しあるらし
ひとりゐて ものもふよひに ほととぎす こゆなきわたる こころしあるらし
意味:
一人でいると 物を思う晩に ホトトギスが ひときわ大声で鳴き渡る わたしのことに気を使っているらしい
作者:
小治田朝臣広耳(おはりだあそみひろみみ)伝未詳。
第8巻1477
卯の花も いまだ咲かねば 霍公鳥 佐保の山辺に 来鳴き響もす
うのはなも いまださかねば ほととぎす さほのやまへに きなきとよもす
意味:
卯の花も まだ咲いていないのに ホトトギスが 佐保山の傍に 来て鳴き騒いでいます
作者:
大伴宿禰家持(おおとものすくねやかもち)この歌のタイトルは、大伴家持のホトトギスの歌となっています。佐保山(奈良市)の傍らとは、大伴氏の邸宅のあったところです。
第8巻1480
我が宿に 月おし照れり 霍公鳥 心あれ今夜 来鳴き響もせ
わがやどに つきおしてれり ほととぎす こころあれこよひ きなきとよもせ
意味:
私の家に 月が照り渡ったよ ホトトギスよ 情けあれば今夜 来て鳴いて声を響かせておくれ
作者:
大伴書持(おおとものふみもち)大伴書持は、大伴旅人(たびと)の子で大伴家持の弟です。
第8巻1481
我が宿の 花橘に 霍公鳥 今こそ鳴かめ 友に逢へる時
わがやどの はなたちばなに ほととぎす いまこそなかめ ともにあへるとき
意味:
私の家の 花橘に いるホトトギスよ 今こそ鳴きなさい 友に会えるときだから
作者:
大伴書持(おおとものふみもち)ホトトギスは特許許可局と鳴きます。
第8巻1482
皆人の 待ちし卯の花 散りぬとも 鳴く霍公鳥 我れ忘れめや
みなひとの まちしうのはな ちりぬとも なくほととぎす われわすれめや
意味:
皆が 待っていた卯の花が 散ってしまっても 鳴くホトトギスを 私は忘れるだろうか、いや忘れられない
作者:
大伴清縄(おおとものきよつな)この人については未伝詳。
第8巻1483
我が背子が 宿の橘 花をよみ 鳴く霍公鳥 見にぞ我が来し
わがせこが やどのたちばな はなをよみ なくほととぎす みにぞわがこし
意味:
宴席の主人の 家の橘の 花を慕って 鳴くホトトギス これを見るために私は来ました
作者:
奄君諸立(あむのきみもろたち)歌のタイトルは、奄君諸立が歌一首となっています。奄君諸立についてはどんな人か記録がありません。この歌で我が背子は、歌会を主催した主人です。
第8巻1484
霍公鳥 いたくな鳴きそ ひとり居て 寐の寝らえぬに 聞けば苦しも
ほととぎす いたくななきそ ひとりゐて いのねらえぬに きけばくるしも
意味:
ホトトギス そんなに鳴かないでおくれ ひとりでいて 寝ても寝ることができず 聞くのが苦しい
作者:
大伴坂上郎女(おおとものさかのうえのいらつめ)この歌のタイトルは大伴坂上郎女が歌一首です。