いにしへに (いにしへに)
恋ふる鳥かも (こふるとりかも)
弓絃葉の (ゆづるはの)
御井の上より (みゐのうへより)
鳴き渡り行く (なきわたりゆく)
意味:
遠い昔に
心引かれる鳥でしょうか
弓弦葉の
井戸の上より
鳴き渡り行ったのは
作者: 弓削皇子(ゆげのみこ)
この歌は、弓削皇子が額田王に謎かけした歌で、額田王の答は、次の万葉集の112番です。
巻②112
いにしへに 恋ふらむ鳥は 霍公鳥 けだしや鳴きし 我が恋ふるごと
いにしへに こふらむとりは ほととぎす けだしやなきし あがこふるごと
意味: 昔に 心引かれている鳥は ホトトギスです もしかしたら鳴いているのかも知れません 私が恋ているように
作者: 額田王(ぬかたのおおきみ)
この歌が、111の弓削皇子の謎かけに対する額田王の回答です。この歌で額田王は、その鳥はホトトギスだと返しています。
弓削皇子は、天武天皇の第九子と言われるが不遇であり27才程度で薨去されたといわれます。弓削皇子が13歳の頃、父親の天武天皇は、「薨去」してしまいました。それゆえ、弓削皇子は、いにしへ(天武天皇の時代)に恋ふる鳥だったのであり、弓弦葉の井戸の上より鳴き渡り行ったのは弓削皇子自身だったのです。それを理解した額田王がこの不遇な鳥は、中国で懐古の悲鳥呼ばれるホトトギスだと応えたのです。
天智天皇亡き後、額田王は弓削皇子の気持ちを理解するところがあったようです。額田王は、当初、天武天皇の妻でしたが、天智天皇の指名で天智天皇の妻になるしかなかったこともあり、自分の不遇も含めて弓削皇子の理解者であったのでしょう。
弓弦葉は去年の葉が今年の新葉を差し上げるような形になっていて、親から子への世代交替(ゆずる)を表現しています。弓削皇子の場合は、この世代交代がうまく行かず、飛び立って行く鳥を自分に重ねています。額田王の場合は、元の夫である天武天皇の時代が来たが自分は、天武天皇の夫とされて、その天武天皇も亡くなってしまったという自分の境遇に不遇を感じていたのでしょう。
ユズリバ: