巨勢山の(こせやまの)
つらつら椿(つらつらつばき)
つらつらに(つらつらに)
見つつ偲はな(みつつしのはな )
巨勢の春野を(こせのはるのを)
意味:
巨勢山(奈良県御所(ごせ)市の古瀬にある山)の
たくさんの椿を
念を入れて
見ながら思い出してください
巨勢の春の野原を
作者:坂門人足 (さかと の ひとたり)
この人の歌は、万葉集でこの1首のみです。大宝元年(701年)の秋の九月(9月18日から10月19日)に持統天皇が紀伊の国に行幸したときに歌った歌です。持統天皇は697年8月22日に文武天皇に譲位しているので、実際には、持統天皇は、太上天皇(おほきすめらみこと)になっている。持統天皇は、この行幸の翌年(703年1月13日)に崩御した。
持統天皇は、30回以上、吉野の宮瀧に行幸している。それは、天武天皇が皇太子だった時代、皇太子の座を兄の天智天皇の子(大友皇子)に譲って、追手から逃れるようにして、宮瀧の吉野宮に避難した。そして1年間の準備の後、壬申の乱を起こし大友皇子に勝利して政権を奪った記憶があるからです。このとき、最初に逃れるようにして宮瀧に行った道は、馬子の墓と言われる石舞台古墳の脇から進み、芋ヶ峠(いもがとうげ)と呼ばれる山道を通る宮瀧への最短の道ですが、この道は険しく厳しい道だったので、その後の行幸の際は、歩きやすい巨勢の道を通ったものと思われます。
その後の何度も宮瀧への行幸に同行したのが、坂門人足で、「つらつら」に込めているのは、持統天皇が何度も何度も通った思い出や持統天皇の天武天皇との忘れられないたくさんの思い出です。
ちなみに持統天皇57歳、天武天皇崩御後16年(崩御時推定63歳、天武天皇在位期間13年)です。
ヤブツバキ:
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