昼は咲き (ひるはさき)
夜は恋ひ寝る (よるはこひぬる)
合歓木の花 (ねぶのはな)
君のみ見めや (きみのみみめや)
戯奴さへに見よ (わけさへにみよ)
意味:
昼は花が咲き
夜は共寝(ともね)する
ネムノキの花
主人であるこの私だけが見て良いものだろうか
おまえも一緒に見なさい
作者:紀郎女(きのいらつめ)
この歌には、次の題詞がついている。「紀郎女が大伴家持に贈る歌2首」これに対して、大伴家持は「大伴家持、贈りこたえる歌2首」を返していいる。返した歌は次の通りです。
我妹子が
形見の合歓木は
花のみに
咲きてけだしく
実にならじかも
意味:
あなたが
形見にしている合歓木は
花のみ
咲いて、もしかしたら
実にならないかも知れません
随分はっきりした断りの歌になっています。
万葉集中で紀女郎は、大伴家持に8首の歌を送っている。大伴家持も紀女郎に10首の歌を送っている。しかし、この恋は実らなかったようです。
ここで、いらつめ(女郎、または、郎女)は、高い家柄の女性の呼称です(郎女の方がより高い)。よって、紀家の女性的な呼び方で紀女郎と呼ばれている。そして、本名は不明な場合が多い。しかし、紀女郎の場合には本名が分かっている。それは、4巻643の歌の前に、次のような説明が付いているからである。「紀女郎が怨恨歌3首 鹿人太夫が女、名を小鹿という。安貴王が妻なり」この文章より、親が鹿人太夫で、紀女郎は名前を小鹿といって、安貴王(志貴皇子または川島皇子の孫)の妻であるということが分かる。また、紀女郎の身分が高いことが分る。これが1461の歌で大伴家持を見下すような表現に繋がるのかと思います。724年頃に紀女郎が安貴王と離婚する。家持と関係したのは(740年頃)話です。よって離婚した随分後の話です。
大伴家持はモテ男で万葉集中でたくさんの女性との間に相聞歌があります。