ホオノキと梅の木

さきたま緑道には、たくさんの樹木がありますが、枯れてしまう樹木もあります。

その中で今回は、ホオノキと梅の木について見てみました。ホオノキについては1.26章(巻⑲4204)で、講師僧恵行(こうじそうえぎょう)が歌で大伴家持に対して

あなたが

両手で高くさしあげる

ホオノキは

良く似てますね

貴婦人や高貴の人の後方を飾る絹笠に

と歌った歌を紹介して、このホオノキが枯れて切られたということを説明しましたが、本日、また、その場所に行って見ると、切られたホオノキから新しい目から葉が出ていることが分かりました。その様子を写真で紹介します。

切られたホオノキより新しい芽が出て大きな葉を付けました

順調に育って前より素晴らしい大きな木になるといいですね。

 

さきたま緑道と、17号バイパスが交差する場所の北側に休憩するための吾妻屋とたくさんの埴輪があり、散歩をしている人達がここで良く休んでいます。ここは、さきたま緑道の中の公園のようになっていてます。この公園の鴻巣側の入り口には大伴旅人(最高位の官職) の梅の歌(巻⑤822)、そして出口のところには、対馬目高氏老(つしまのさくわんかうじのおゆ)、(目(さくわん)は、国家公務員の最下級の官職)の梅の歌(巻⑤841)があります。この二つの歌は、令和の年号の命名で有名になった「初春の令月にして、気淑(よ)く風和ぐ」の歌の会で歌われた代表的な歌です。この歌の会は、15人の上席と17人の下席の役人による歌会ですが、上席トップの大伴旅人の歌が入り口に下席の高氏老の歌が出口に配置されています。よって、この埴輪と吾妻屋の公園は、令和記念公園ともいうべき構成になっています。令和の時代が来る何十年も前に万葉集からこの歌を選択した選択眼は素晴らしかったと思います。

この高氏老の歌の反対側には、大伴家持(大伴旅人の子)の梅の歌(巻⑲4134)があります。選者としては、ここで大伴家持をここで外すことはできなかったのですが、令和の歌会には、場所的に大伴家持は来られなかった。やもなく別の歌会から大伴家持の歌を選んだものと思います。

そこで、問題は、大伴家持の歌の所にあった梅の木は、枯れて切られてしまっている。また、高氏老のところの梅の木は、なんだか元気がない。そのうち切られてしまうかも。残念です。令和記念公園などと言っていられない状態です。大伴旅人の歌の所にある梅の木は、少し元気にしているが、すでに桜の木に下になっていてやがて枯れてしまうかも、残念な状態です。

これらの梅の木を元気にして、「令和記念公園」として見たいものです。

枯れて切られた梅の切り株が右少し後ろにある大伴家持の歌碑

弱っている高氏老の歌碑の両側の梅の木

桜の木がおおい被さっている大伴旅人歌碑の所の梅の木

 さきたま緑道内の公園(令和記念)