第16巻3831

池神の 力士舞かも 白鷺の 桙啄ひ持ちて 飛び渡るらむ

いけがみの りきしまいかも しらさぎの ほこくいもちて とびわたるらむ

意味:

池上社の 力士舞のように見えますね シラサギが 剣のように見える木片をくわえ  飛び渡っている姿は

池神社は、奈良県吉野郡にある池上社と思われます。役行者(役 小角(えん の おづぬ)、修験道の開祖)がこの神社の前の湖を見て深く霊気に打たれ神の存在を感じ、祀り始めたのがの起源ということです。力士舞というのは、上代の伎楽の舞の一つで、金剛力士の仮装をして鉾をもって舞う神事だそうです。

しかし考えて見ると、現在、たくさんのシラサギが見られるのに、万葉の時代この一首しかシラサギの歌がないというのは、不思議なことです。これについては、2章で鶴の歌の中にダイサギがいないか検討します。

ダイサギ(画像をクリックで拡大)

次のように白鳥を歌った歌があります。

第9巻1687

白鳥の 鷺坂山の 松蔭に 宿りて行かな 夜も更けゆくを

しらとりの さぎさかやまの まつかげに やどりてゆかな よもふけゆくを

 意味:

白鳥の 鷺坂山の 松の陰で 宿をとって行こうかな 夜も更け行く旅の宿を

この歌において「白鳥の」は、鷺坂山にかかるまくらことばです。鷺坂山は、現在の京都府城陽市大字久世の久世神社付近の丘と言われています。久世神社は、日本武尊(やまとたけるのみこと)の死後、飛び立った一羽の白鷺がとどまった場所だと言われています。このことから白鳥(しらとり)とは白鷺(シラサギ)のことであることがわかります。

日本武尊は、白鳥の王子ともいわれますが、これは白鳥(はくちょう)の王子ではなく白鳥(しらとり)の王子で、実際には、シラサギの王子ということになります。

この歌は、柿本人麻呂歌集に載っている歌で、柿本人麻呂作の歌とされています。

ダイサギ(画像クリックで拡大)

白鳥を歌った歌は、上の歌と、次の歌の二つしかありません。

第4巻588

白鳥の 飛羽山松の 待ちつつぞ 我が恋ひわたる この月ごろを

                

しらとりの とばやままつの まちつつぞ あがこひわたる このつきごろを

意味: 

白鳥が飛ぶ 飛羽山の松(待つ)ではありませんが あなたを待って 私は恋い焦がれて 幾月も過ごしています

作者:

 この歌は、笠 郎女(かさのいらつめ)が恋人の大伴宿祢家持に贈った歌の24首の中の2番目の歌です。飛羽山の場所は不明ですが、東大寺近くの山とする説や福井県鯖江市とする説などあります。

 

この句の白鳥は何の鳥でしょうか。白い鳥としては、白鳥(はくちょう)と白鷺が考えられますが、飛羽山すなわち山に来る鳥ということを考えるとと白鳥の可能性はなくなり白鷺ということになります。

 

白鳥(はくちょう)は、体重の重い鳥であり、飛び立つためには、水面を助走なければなりません。また、着陸するためにも十分に速度を下げることができず水面で足を前方に突っ張って足の抵抗を使って着陸します。よって睡眠中に襲われることを気にしている白鳥は、襲われた際に飛び立てるように水辺の近くで集団になって寝るのが普通です。よって山には住みません。

 

それに対して白鷺は体重が軽いので、このページに示したように軽くジャンプして飛び立つことができるし、着陸も容易できます。そのために夜間は安全な山の木の上でも水辺でも睡眠をとることもできます。

 

こう考えると飛羽山の白鳥は、白鷺ということになります。

 

1687の歌と588の歌は、関係が深いものと考えられます。1687で白鳥は、死んだ日本武尊です。588では、転勤で行ってしまった大伴宿祢家持と考えられます。いずれの場合も会うことができなくなってしまった人を曖昧性の含む白鳥(しらとり)という言葉を使って具体的でない理想的な鳥のイメージで表現しているものと思われます。ここを具体的な白鷺にしてしまっては、なんとも想像力が働きにくくなります。

 

忍川の白鷺には、ダイサギ以外にチュウサギやコサギがいます。

コサギ(画像クリックで拡大)

コサギは、首の後ろに線状の冠を下げています。ダイサギが身長90cm程であるのに対して、60cm程になります。

 アオサギ、チュウサギ、コサギ(画像クリックで拡大)

チュウサギの身長は68cmになります。ダイサギとチュウサギの見分けは難しいですが、目の下に切れがあるのがダイサギです。下の写真で確認してください。

ダイサギの目(画像クリックで拡大)

ゴイサギ

サギの仲間と言ってよいかどうかと思うほど感じに違う鳥に「ゴイサギ」がいます。ゴイサギの名前は、醍醐天皇がこの鳥に官位の「五位」を授けたという平家物語の「朝敵揃」という節の記述から名付けられた名前です。次の文章は、平家物語の「朝敵揃」の関係する部分を抜粋したものです。「五位」を授けられた理由が分かります。

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最近の世の中では天皇の権力も無下に軽くなった。昔は宣旨(天皇の命令書)をだれかに向かって読めば、枯れた草木も花が咲いて、飛ぶ鳥も天皇にしたがった。近頃のことであるが、醍醐天皇が神泉苑に行幸して、池のほとりにサギが見えたので、六位の官人をお呼びになり「あのサギを取って参れ」と命令した。官人はどのように捕らえるべきと思ったが、天皇のお言葉であるので歩み向かった。サギは羽づくろいして飛び立とうとする。そこで「宣旨ぞ」と命令すれば、ひれふして飛び去らない。直ちにこれを捕えて天皇のところに行かせれば「そなたは、宣旨に従って来られるとは神妙である。すぐに五位になれ」と言ってサギを五位にした。本日よりサギの中の王であるという札をみずからお書きになり首に付けて放させた。全くこれは、サギのための褒美ではない。ただ、天皇の権威の程を知らしめるためのものである。

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