25章においては、歌の中で鳥の種類が不明で、鳥とのみ表現されているものや、鳥と言っているが、実際は不在の想像上の鳥などについて取り上げる。万葉集中で、鳥とのみ歌っている歌は、非常に多い。また、地名に鳥が付くものもこの章の対象にした。この章で扱った鳥の写真は、歌の内容と直接関係ない写真も使っている。

25.1 万葉集 16・45・78・111・145・153・167・170・172・180

第1巻16

1   冬こもり 春さり来れば    ふゆこもり はるさりくれば
2   鳴かずありし 鳥も来鳴きぬ  なかずありし とりもきなきぬ
3   咲かずありし 花も咲けれど  さかずありし はなもさけれど
4   山を茂み 入りても取らず   やまをしみ いりてもとらず
5   草深み 取りても見ず     くさふかみ とりてもみず
6   秋山の 木の葉を見ては    あきやまの このはをみては
7   黄葉をば 取りてぞ偲ふ    もみちをば とりてぞしのふ
8   青きをば 置きてぞ嘆く    あをきをば おきてぞなげく
9   そこし恨めし 秋山吾は    そこしうらめし あきやまわれは

意味:
1   冬で籠もっていたところに 春がやって来れば
2   鳴かなかった 鳥も来て鳴く
3   咲かなかった  花も咲いたけれど
4   山はびっしりで 入っても取ることができない
5   草は深く 取っても見ることができない
6   秋の山の 木の葉を見ては
7   紅葉した葉を 取って偲ぶ
8   青い葉を 置いては嘆く
9   そこが恨めしい 秋の山は私にとって

作者:

額田王(ぬかたのおおきみ)この歌には、次のようなタイトルが付いています。「天皇が大臣の藤原朝臣に詔(みことのり)して春山の万花の艶(におい)と秋山の千葉の彩りを競いあわせたときに、額田王が歌を持って優劣を判定・判断した歌です。内容的には、春と秋の長短を歌っています。

第1巻45

1   やすみしし 我が大君       やすみしし わがおほきみ
2   高照らす 日の皇子        たかてらす ひのみこ
3   神ながら 神さびせすと      かむながら かむさびせすと
4   太敷かす 都を置きて       ふとしかす みやこをおきて
5   隠口の 初瀬の山は        こもりくの はつせのやまは
6   真木立つ 荒き山道を       まきたつ あらきやまぢを
7   岩が根 禁樹押しなべ       いはがね さへきおしなべ
8   坂鳥の 朝越えまして       さかとりの あさこえまして
9   玉限る 夕去り来れば       たまかぎる ゆふさりくれば
10  み雪降る 安騎の大野に      みゆきふる あきのおほのに
11  旗すすき 小竹を押しなべ     はたすすき しのをおしなべ
12  草枕 旅宿りせす いにしへ思ひて くさまくら たびやどりせす いにしへおもひて

意味:
1   国の隅々までお治めになっている 我が天皇
2   天高く照る 日の皇子
3   神そのものとして 神らしく振る舞おうと
4   天下を統治するために 都を置いて
5   山に囲まれ隠れているような場所である 初瀬の山は
6   杉や檜などが生い茂っている 荒れた山道を
7   大地に固定している 通行の妨げになる木は概して
8   山を越えて飛んでいく小鳥の群が 今朝越えて
9   玉が淡い光を放つような 夕方が去り来れば
10  美しい雪が降る 安騎(奈良県宇陀市の大宇陀一帯)の大きい野に 
11  旗のように穂が風になびいているススキ 篠がすべて一面生えた場所で
12  草枕の 旅の宿りをして 遠い昔を思う
作者:

柿本朝臣人麻呂(かきのもとのあそみひとまろ)この歌には軽皇子が安騎野に宿ったときに柿本朝臣人麻呂が感慨をあらわした歌である。ここでいう軽皇子とは、後の文武天皇(第42代天皇)のことです。当時、持統天皇(女帝)は、自分の夫(天武天皇)の子である草壁皇子を次期の天皇にしようと考えていたが、草壁皇子が若くしてなくなったために、草壁皇子の子(軽皇子、14才)を天皇にした。しかし、軽皇子も10年程でなくなったので、次は草壁皇子の妃を元明天皇(女帝)とした。元明天皇の時代も7年程で終わり、元正天皇(女帝)の時代に変わる。元正天皇の父は草壁皇子である。元正天皇の時代も約9年で終わり、聖武天皇の時代に変わる。これまで、天武天皇の血を継ぐ男性の天皇として待ち望まれていた首皇子(おびとのみこ)すなわち、聖武天皇の時代になった。何人もの女帝で時代を繋いで来たのも天武天皇の血を継ぐ天皇に橋渡しするためであった。しかし天武天皇の血統もそれほど長くつながらなかった。聖武天皇の後、聖武天皇の子の孝謙天皇(女帝)、淳仁天皇、称徳天皇(孝謙天皇と同じ人、女帝)と進み称徳天皇には子供がいなかったので、次の天皇は、天武天皇が壬申の乱で争った兄の天智天皇の系統の光仁天皇に移ってしまうのである。天智天皇の系統は、現在の天皇にまで繋がっている。天武天皇の系統が繋がらなかったのは、兄弟親族の間の争いが多かったことが原因と考えられる。また、これらの争いとたくさんの女帝の時代を通じてその権力を確実なものとしたのが藤原氏であり、その権力は、太平洋戦争が終わるまで続いた。

第1巻78

飛ぶ鳥の 明日香の里を 置きて去なば 君があたりは 見えずかもあらむ 

とぶとりの あすかのさとを おきていなば きみがあたりは みえずかもあらむ

意味:

飛ぶ鳥と書く 明日香の里を このまま立ち去ったなら あなたのいる辺りは 見えなくなるかもしれません
作者:

持統天皇(じとうてんのう)一部に元明天皇(げんめいてんのう)という説もある。この歌には、次の説明がついています。和銅3年庚戌(710年)の春2月に、藤原宮より平城京に遷都するときに、神輿を長屋の原(天理市)停止して故郷を顧みて作らす歌。この歌で懐かしんでいるのは、藤原の宮に住んでいた持統天皇の夫であった天武天皇とその皇統の人々である。ここで旧都に対する手向けの礼がおこなわれたという。この歌の中で飛ぶ鳥と歌っているのは飛鳥を枕ことばとして使っている。飛鳥は、鳥とは直接関係ないが、このような歌も鳥の歌の分類に含めることにした。

 


イソシギ

第2巻111

いにしへに 恋ふる鳥かも 弓絃葉の 御井の上より 鳴き渡り行く

 

いにしへに こふるとりかも ゆづるはの みゐのうへより なきわたりゆく
意味:

遠い昔に 心引かれる鳥でしょうか 弓弦葉の 御井の上より 鳴き渡り行ったのは

作者:

弓削皇子(ゆげのみこ)この歌は、額田王になぞかけした歌で、額田王の答は、万葉集の112番で、18.1章で説明しています。111、112の歌には、弓削皇子にとって深い意味があり、そのことは、18.1章の冒頭で説明していますので、そちらを参考にしてください。

 

第2巻145

鳥(天)翔成 あり通ひつつ 見らめども 人こそ知らね 松は知るらむ 

 

あまがけり ありがよひつつ みらめども ひとこそしらね まつはしるらむ
意味:

鳥が空を羽ばたくように有馬皇子の魂が 通うようには 見えないけれども 人は知らないが 松は知っている
作者:

山上憶良(やまのうえの )この歌には、山上臣憶良が追和の歌一首というタイトルが付いているが、追和は、これより前に出てくる歌に共感した歌というような意味です。この歌の前に出てくる歌とは、有馬皇子の次の有名な歌です。

141 有馬皇子自から傷みて松が枝を結ぶ歌
岩代の 松が枝を 引き結び ま幸くあらば また帰り見む
岩代の 松の枝を 引き結んで 無事であったら また帰りに見るだろう

有馬皇子が無実の罪(または策略ではめられた罪)で逮捕され、中大兄皇子のいる白浜温泉に護送されて行くときにの歌で、白浜温泉で罪が解かれて開放されることがあったら、行きに結んでおいた松の枝が帰りに見られるだろうと歌っている。しかし、罪が許されることはなかったので、帰りはなく松がみられなかったので、同情する歌が142、143と続いている。この歌に追和して歌ったのが、145の歌です。有馬皇子は、魂になって枝を結んだ松のところに帰ってきていると歌っている。

 

第2巻153

1   鯨魚取り 近江の海を   いさなとり あふみのうみを
2   沖放けて 漕ぎ来る船   
おきさけて こぎきたるふね
3   辺付きて 漕ぎ来る船   
へつきて こぎくるふね
4   沖つ櫂 いたくな撥ねそ  
おきつかい いたくなはねそ
5   辺つ櫂 いたくな撥ねそ  
へつかい いたくなはねそ
6   若草の 夫の 思ふ鳥立つ 
わかくさの つまの おもふとりたつ

意味:
1   大きな魚取り 琵琶湖を
2   遠くの沖で 漕いで来る船
3   近くの岸辺を 漕いで来る船
4   沖を漕ぐ船の櫂 ひどく水をはねないで
5   岸辺を漕ぐ船の櫂 ひどく水をはねないで
6   若い 妻の かわいがってるいた鳥が飛び立つよ
作者:

倭姫王(やまとひめのおおきみ)天智天皇后である。万葉集に倭姫王の歌が4首ある。倭姫は日本武尊の神話の中にも登場するが、歌の作者とは別の人です。こちらの倭姫のほうが有名ですので記載しておきます。日本武尊(やまとたけるのみこと東征の際に倭姫が草薙剣を日本武尊に渡したことは有名です。草薙剣は日本武尊の危機を救う剣でしたが、東征の帰りに尾張でミヤズヒメ(日本書記では宮簀媛、古事記では美夜受比売)のとこに置き忘れたことで、伊吹山の神と戦いに負けて死に繋がりました。この倭姫は第11代垂仁天皇の第4皇女で、日本武尊のおばさんに当たり、最初の斎宮です。この歌の倭姫王は、天智天皇の死後、大海人皇子から倭姫王が即位し、大友皇子が実際の政治を行うように進言されたという情報と、大海人皇子は天智天皇が病に伏せたとき、大友皇子を皇太子として推薦したという少し矛盾する二つの情報があります。いずれにして、この時点で大海人皇子の気持ちは安らかでなかったということでしょう。

 

第2巻167

1   天地の 初めの時            あめつちの はじめのとき
2   ひさかたの 天の河原に         
ひさかたの あまのかはらに
3   八百万 千万神の            
やほよろづ ちよろづかみの
4   神集ひ 集ひいまして          
かむつどひ つどひいまして
5   神分り 分りし時に           
かむはかり はかりしときに
6   天照らす 日女の命           
あまてらす ひるめのみこと
6   [さしのぼる 日女の命]         
[さしのぼる ひるめのみこと]

7   天をば 知らしめすと          あめをば しらしめすと
8   葦原の 瑞穂の国を           あしはらの みづほのくにを
9   天地の 寄り合ひの極み         あめつちの よりあひのきはみ
10  知らしめす 神の命と          しらしめす かみのみことと
11  天雲の 八重かき別きて         あまくもの やへかきわきて
11  [天雲の 八重雲別きて]         [あまくもの やへくもわきて]

12  神下し いませまつりし         かむくだし いませまつりし
13  高照らす 日の御子は          たかてらす ひのみこは
14  飛ぶ鳥の 清御原の宮に         とぶとりの きよみのみやに
15  神ながら 太敷きまして         かむながら ふとしきまして
16  すめろきの 敷きます国と        すめろきの しきますくにと
17  天の原 岩戸を開き           あまのはら いはとをひらき
18  神上り 上りいましぬ          かむあがり あがりいましぬ
18  [神登り いましにしかば]        [かむのぼり いましにしかば]

19  我が大君 皇子の命の          わがおほきみ みこのみことの
20  天の下 知らしめしせば         あめのした しらしめしせば
21  春花の 貴くあらむと          はるはなの たふとくあらむと
22  望月の 満しけむと           もちづきの たたはしけむと
23  天の下 [食す国] 四方の人の      あめのした [をすくに] よものひとの
24  大船の 思ひ頼みて           おほぶねの おもひたのみて
25  天つ水 仰ぎて待つに          あまつみづ あふぎてまつに
26  いかさまに 思ほしめせか        いかさまに おもほしめせか
27  つれもなき 真弓の岡に         つれもなき まゆみのをかに
28  宮柱 太敷きいまし           みやばしら ふとしきいまし
29  みあらかを 高知りまして        みあらかを たかしりまして
30  朝言に 御言問はさぬ          あさことに みこととはさぬ
31  日月の 数多くなりぬれ         ひつきの まねくなりぬれ
32  そこ故に 皇子の宮人 ゆくへ知らずも  そこゆゑに みこのみやひと ゆくへしらずも
    [さす竹の 皇子の宮人 ゆくへ知らにす] [さすたけの みこのみやひと ゆくへしらにす]

意味:
1   天と地が 始まった時
2   天を永久に確かなものとする 天上の河原に
3   きわめて たくさんの神が
4   集い 集まりまして
5   神が相談に 相談を重ねたときに
6   天に光り輝いておいでになる 天照大神は
    [天に昇る 天照大神は]
7   天を お治になると
8   葦原の 瑞穂の国
9   天と地の 接するこの上ないところを
10  お治めになられる 神の命と
11  天雲の 八重雲をかき別けて
    [天雲の 八重雲別きて]
12  神を降ろし 行かせになった
13  天に光り輝いておいでになる 日の皇子(天武天皇)は
14  飛鳥の 清御原(飛鳥浄御原宮)の宮に
15  神のままに 天下を統治しまして
16  天皇の 統治なさる国と
17  天の原の 岩戸を開いて
18  神は ちょうど今上がってしまった
    [神登り いましにしかば]
19  我が大君 皇子(草壁)の命が
20  地上の全世界を お治めになれば
21  春の花が 尊くあるだろうと
22  満月のように 完全無欠であろうと
23  地上の全世界 [食す国] すべての人が
24  大船に 思いを託して
25  天からの恵みの水を待つように 仰ぎ待っていたが
26  何と 思い召されてか
27  何の関係もない 真弓の岡(近鉄飛鳥駅の西)に
28  殯宮(もがりのみや)の柱を 太々と立てられ
29  御殿を 立派に造り営んだ
30  朝のお言葉を 皇子が問はない
31  日月が 長くなって
32  そのため 皇子の宮人は 将来どうなって行くのか分からない
    [さす竹の 皇子の宮人 ゆくへ知らにす]
作者:

柿本朝臣人麻呂(かきのもとのあそんひとまろ)この歌には、次のようなタイトルが付いている。「日並皇子(ひなみしみこのみこと)の殯宮(あらきのみや、埋葬する前に殯宮で長期間に渡り奉ること)のときに柿本朝臣人麻呂が作る歌」歌の意味は、天地ができたときに、たくさんの神々が集まって、天は天照大神がお治め、瑞穂の国は、天皇が治めるように決めたが、天皇だった天武天皇は無くなって、天に帰ってしまった。そこで、草壁皇子が瑞穂の国を治めるようになることを待っていたが、草壁皇子は亡くなり、殯宮(あらきのみや)を作ってしまった。そのため皇子の宮人は将来どうなって行くのか分からないと嘆いているのである。[]の中は、意味的に本文と類似と理解できるので、翻訳を省略した。14行目の「飛ぶ鳥の」は天武天皇の時に、赤い雉の献上を吉兆として朱鳥と改元、明日香にあった大宮を飛鳥(とぶとり)の浄御原(きよみはら)の宮と名づけたところから枕言葉になった。

第2巻170

嶋の宮 まがりの池の 放ち鳥 人目に恋ひて 池に潜かず

しまのみや まがりのいけの はなちとり ひとめにこひて いけにかづかず
意味:

嶋の宮の 曲がった池に 放されている鳥は 草壁皇子を恋うて 池に潜らない
作者:

柿本朝臣人麻呂(かきのもとのあそんひとまろ)この歌は、167に継続している歌で、草壁皇子の死をいたむ歌です。この歌に出てくる嶋の宮は、草壁皇子の宮となっていました。この宮は元は蘇我馬子の家でした。そして天智天皇の基を去った大海人皇子(のちの天武天皇)と鸕野讃良皇女(のちの持統天皇)が隠遁生活を始めるために吉野の向かう途中一泊した場所です。

第2巻172

嶋の宮 上の池なる 放ち鳥 荒びな行きそ 君座さずとも

しまのみや うへのいけなる はなちとり あらびなゆきそ きみまではさずとも
意味: 
嶋の宮の 上の池に 放ってある鳥 気まぐれで飛んで行かないで 主人が居なくとも

作者:
舎人(とねり)皇族や貴族に仕える下級役人のこと。具体的な人名は不明。

 

第2巻180

み立たしの 島をも家と 棲む鳥も 荒びな行きそ 年かはるまで 

みたたしの しまをもいへと すむとりも あらびなゆきそ としかはるまで
意味:

草壁皇子がお立ちになっていた 島を家として 住む鳥も 気まぐれで飛んで行かないで 年が変わるまでは 
作者:

舎人(とねり)皇族や貴族に仕える下級役人のこと。具体的な人名は不明。