鵺鳥(ぬえどり)は、現在はトラツグミと呼ばれている。万葉集では、このトラツグミはぬえどりと呼ばれているが、歌番号5番では、ぬえこどりと歌われている。万葉集で歌われているぬえどりはいづれも悲しい場面で歌われている。トラツグミは、普通のツグミより大きく、身長は30cmになる。平地や山地の森林に住んでいる。夜中に口笛のよう声で一定間隔でヒョーヒョーという鳴き声が夜中に聞こえ不気味に感じるということです。夜中に鳴くことから悲しさや嘆きの気持ちを表す歌で歌われています。「ぬえ」や、「ぬえどり」は妖怪あるいは物の怪の意味であるという。

トラツグミ

19.1 万葉集 5・196・892・1997・2031・3978

第1巻5

1   霞立つ 長き春日の        かすみたつ ながきはるひの
2   暮れにける わづきも知らず    
くれにける わづきもしらず
3   むらきもの 心を痛み       
むらきもの こころをいたみ
4   ぬえこ鳥 うら泣け居れば     
ぬえこどり うらなけをれば
5   玉たすき 懸けのよろしく     
たまたすき かけのよろしく
6   遠つ神 我が大君の        
とほつかみ わがおほきみの
7   行幸の 山越す風の        
いでましの やまこすかぜの
8   ひとり居る 我が衣手に      
ひとりをる わがころもでに
9   朝夕に 返らひぬれば       
あさよひに かへらひぬれば
10  大夫と 思へる我れも       
ますらをと おもへるわれも
11  草枕 旅にしあれば        
くさまくら たびにしあれば
12  思ひ遣る たづきを知らに     
おもひやる たづきをしらに
13  網の浦の 海人娘子らが      
あみのうらの あまをとめらが 
14  焼く塩の 思ひぞ焼くる 我が下心 
やくしほの おもひぞやくる わがしたごころ

意味:

1   霞立つ 長い春の一日が
2   暮れてしまった 理由も分らずに
3   五臓六腑の 心が痛み
4   トラツグミが うら悲しそうに鳴いて居れば
5   神事に使うたすきを 背中にかけたよろしき姿の
6   遠い昔に神であった 我が天皇が
7   お出かけ時に 神様が山を越えさせる風が
8   ひとりで居る 私の袖に
9   朝夕に 仕切りに吹き付けると
10  心身ともに人並みすぐれた強い男子と 思っている私も
11  仮寝の床の 旅の途中であれば
12  気を晴らす 方法も分らず
13  網の浦の 海人の乙女らが
14  焼く塩のように 思ひは焼けるよ 私の本心は

作者:

軍王(いくさのおおきみ、こにしきのおおきみ)この歌のタイトルは「讃岐の国の安益(あや)の郡に幸す時に、軍王が山を見て作る歌」となっている。軍王については、渡来人らしいということですが、明確ではありません。万葉集中の軍王の歌は、この歌とこの歌に対する反歌(6番)のみです。2行目の「わづきも」については、他に使用例がなく意味は不明です。

 

第2巻196

1   飛ぶ鳥の 明日香の川の       とぶとり あすかのかはの
2   上つ瀬に 石橋渡し         かみつせに いしはしわたし
3   下つ瀬に 打橋渡す         しもつせに うちはしわたす
4   石橋に 生ひ靡ける         いしはしに おひなびける
5   玉藻もぞ 絶ゆれば生ふる      たまももぞ たゆればおふる
6   打橋に 生ひををれる        うちはしに おひををれる
7   川藻もぞ 枯るれば生ゆる      かはももぞ かるればはゆる
8   なにしかも 我が大君の       なにしかも わがおほきみの
9   立たせば 玉藻のもころ       たたせば たまものもころ
10  臥やせば 川藻のごとく       こやせば かはものごとく
11  靡かひし 宜しき君が        なびかひし よろしききみが
12  朝宮を 忘れたまふや        あさみやを わすれたまふや
13  夕宮を 背きたまふや        ゆふみやを そむきたまふや
14  うつそみと 思ひし時に       うつそみと おもひしときに
15  春へは 花折りかざし        はるへは はなをりかざし
16  秋立てば 黄葉かざし        あきたてば もみちばかざし
17  敷栲の 袖たづさはり        しきたへの そでたづさはり
18  鏡なす 見れども飽かず       かがみなす みれどもあかず
19  望月の いやめづらしみ       もちづきの いやめづらしみ
20  思ほしし 君と時々         おもほしし きみとときとき
21  出でまして 遊びたまひし      いでまして あそびたまひし
22  御食向ふ 城上の宮を        みけむかふ きのへのみやを
23  常宮と 定めたまひて        とこみやと さだめたまひて
24  あぢさはふ 目言も絶えぬ      あぢさはふ めこともたえぬ
25  しかれかも あやに悲しみ      しかれかも あやにかなしみ
26  ぬえ鳥の 片恋づま         ぬえどりの かたこひづま
27  朝鳥の 通はす君が         あさとりの かよはすきみが
28  夏草の 思ひ萎えて         なつくさの おもひしなえて
29  夕星の か行きかく行き       ゆふつづの かゆきかくゆき
30  大船の たゆたふ見れば       おほぶねの たゆたふみれば
31  慰もる 心もあらず         なぐさもる こころもあらず
32  そこ故に 為むすべ知れや      そこゆゑに せむすべしれや 
33  音のみも 名のみも絶えず      おとのみも なのみもたえず
34  天地の いや遠長く         あめつちの いやとほながく
35  偲ひ行かむ 御名に懸かせる     しのひゆかむ みなにかかせる
36  明日香川 万代までに        あすかがは よろづよまでに
37  はしきやし 我が大君の 形見かここを はしきやし わがおほきみの かたみかここを

意味:

1   飛ぶ鳥の 明日香川の
2   川上の浅瀬に 石の橋を渡し
3   川下の浅瀬に 板橋を渡す
4   石橋に 生えなびく
5   美しい藻は 切れても、また伸び育つ
6   板橋に 茂りたわんでいる
7   川藻は 枯れればすぐ生える
8   どうして 我が明日香皇女は
9   起きれば 美しい藻のごとく
10  横になれば 川藻のごとく
11  心から信頼している りっぱな天皇の
12  朝の宮を 忘れるだろうか
13  夕方の宮を 背くだろうか
14  皇女がいつまでもこの世の人と 思っていた時
15  春には 花を折り髪にかざし
16  秋になれば 紅葉した葉を髪にかざって
17  寝所に敷く布の 袖を取り合い
18  鏡のように いくら見ても飽きない
19  満月が たいへん素晴らしいので
20  すばらしい 夫と時に応じて
21  外に出て お遊びなされました
22  天皇が食事に向かう 城上の宮を
23  永遠の宮と お定めになり
24  じっと 目を合わせて人と語り合うことも絶えてしまった
25  そのためであろうか 言い表しようがなく悲しみ
26  夜、ヒョーヒョーと鳴くトラツグミが 亡くなった妻を呼んで
27  朝に巣から飛び立つように 行き来する夫が 
28  夏草が日に照らされてしなえるように 元気を失う
29  宵の明星のように 往き来して
30  大船が 定まる所なく揺れ動くように落ち着かないが
31  気分を晴らす 気持ちもない
32  それゆえに なすべきことも分からない
33  噂ばかり 名のみも絶えることなく
34  天と地のように きわめて遠く長い間
35  偲んで行こう 皇女の名前を懸けた
36  明日香川は 永久に
37  ああ、いとおしい 我が皇女の 残した思い出となる明日香川

作者:
柿本朝臣人麻呂(かきのもとのあそみひとまろ) この歌のタイトルは、「明日香皇女の城上の殯宮の時に柿本朝臣人麻呂が作る歌」となっている。明日香皇女の夫は、忍壁皇子という説がある。忍壁皇子は天武天皇の皇子です。この歌は、亡くなった明日香皇女を明日香川にかけて皇女の名前が永久に残ることを歌っている。2行目の「石なみ」とは飛び飛びに並べた踏み石のことです。24行目の「あぢさはふ」は目にかかる枕ことばですが、意味は不明ですが「じっと」としました。

 

第5巻892

   風交り 雨降る夜の           かぜまじり あめふるよの
   雨交り 雪降る夜は           あめまじり ゆきふるよは
   すべもなく 寒くしあれば        すべもなく さむくしあれば
   堅塩を とりつづしろひ         かたしほを とりつづしろひ
5   糟湯酒 うちすすろひて         
かすゆざけ うちすすろひて
6   しはぶかひ 鼻びしびしに        しはぶかひ はなびしびしに
   しかとあらぬ ひげ掻き撫でて      しかとあらぬ ひげかきなでて
8   我れをおきて 人はあらじと       
あれをおきて ひとはあらじと
9   誇ろへど 寒くしあれば         
ほころへど さむくしあれば
10  麻衾 引き被り             
あさぶすま ひきかがふり
11  布肩衣 ありのことごと         
ぬのかたきぬ ありのことごと
12  着襲へども 寒き夜すらを        
きそへども さむきよすらを
13  我れよりも 貧しき人の         
われよりも まづしきひとの
14  父母は 飢ゑ凍ゆらむ          
ちちははは うゑこゆらむ
15  妻子どもは 乞ふ乞ふ泣くらむ      
めこどもは こふこふなくらむ
16  この時は いかにしつつか 汝が世は渡る 
このときは いかにしつつか ながよはわたる
17  天地は 広しといへど          
あめつちは ひろしといへど
18  我がためは 狭くやなりぬる       
あがためは さくやなりぬる
19  日月は 明しといへど          
ひつきは あかしといへど
20  我がためは 照りやたまはぬ       
あがためは てりやたまはぬ
21  人皆か 我のみやしかる         
ひとみなか あのみやしかる
22  わくらばに 人とはあるを        
わくらばに ひととはあるを
23  人並に 我れも作るを          
ひとなみに あれもつくるを
24  綿もなき 布肩衣の           
わたもなき ぬのかたぎぬの
25  海松のごと わわけさがれる       
みるのごと わわけさがれる
26  かかふのみ 肩にうち掛け        
かかふのみ かたにうちかけ
27  伏廬の 曲廬の内に           
ふせいほの まげいほのうちに
28  直土に 藁解き敷きて          
ひたつちに わらときしきて
29  父母は 枕の方に            
ちちははは まくらのかたに
30  妻子どもは 足の方に          
めこどもは あとのかたに 
31  囲み居て 憂へさまよひ         
かくみゐて うれへさまよひ
32  かまどには 火気吹き立てず       
かまどには ほけふきたてず
33  甑には 蜘蛛の巣かきて         
こしきには くものすかきて
34  飯炊く ことも忘れて          
いひかしく こともわすれて
35  ぬえ鳥の のどよひ居るに        
ぬえどりの のどよひをるに
36  いとのきて 短き物を          
いとのきて みじかきものを
37  端切ると いへるがごとく        
はしきると いへるがごとく
38  しもと取る 里長が声は         
しもととる さとをさがこゑは
39  寝屋処まで 来立ち呼ばひぬ       
ねやどまで きたちよばひぬ
40  かくばかり すべなきものか 世間の道  
かくばかり すべなきものか よのなかのみち

意味:

   風交りの 雨が降る夜は
   雨交りの 雪が降る夜は
   何ともできず 寒いので
   固まっている塩を 手に取り少しずつ食べる
5   酒の糟を湯に溶いて すすりながら飲む

6   せきをし続け 鼻水をすすり上げる
   はっきりとしていない ひげを掻きなでて
8   私を置いて 人は他にいないと
9   誇るけれど 寒ければ
10  麻製の粗末な寝具を 引きかぶり

11  袖(そで)のない衣服の あるもののすべて
12  重ねて着るけれど 寒き夜でさえも
13  私よりも 貧しい人の
14  父母は 今ごろ飢え凍っているだろう

15  妻子たちは 今ごろは頼み求めて頼み求めて泣いているだろう
16  今頃は どのようにしているか おまえの生活は過ぎて行く
17  天と地は 広いと言えど
18  私のためには 狭くなった
19  太陽と月は 明るいと言えども
20  私のためには 光輝やいてはくれない

21  すべての人が 私のみを強い態度で責める
22  青葉にまじる赤や黄色に変色した葉のようなもので 人とはあるので
23  人並に 私も作ります
24  綿も入っていない 袖無しの上衣を

25  海岸に生えている松のように 破れ乱れて垂れ下がり
26  ぼろ布のみ 肩に掛けて
27  地にふせた質素な小屋の 曲がった庵の内に
28  じかに地面に ワラを柔らかくして敷き
29  父母は 枕の方に
30  妻子どもは 足の方に

31  囲んでいて 嘆き思い悩む
32  かまどには 火の気を吹き立てることができない
33  大型の(せいろのような)蒸し器には 蜘蛛の巣ができて

34  ごはんを炊く ことも忘れて
35  トラツグミが 力のない声を出しているときに
36  ことのほか 短い物を
37  さらに端を切ると 言うのと同じように
38  刑罰に用いるむちを持った 里の長の声は
39  寝る所まで 来て立って叫ぶ
40  これほどに しなくてはならないものか 世間の道は

作者:

山上憶良(やまのうえ の おくら)この歌のタイトルは「貧窮(ひんきゅう)問答の歌」となっている。ここで貧窮とは、「貧しくて生活に苦しむこと」である。貧窮問答とは、貧者と、窮者(にっちもさっちもいかないもの)の問答とも呼ばれています。

 

第10巻1997

久方の 天の川原に ぬえ鳥の うら泣きましつ すべなきまでに

 

ひさかたの あまのかはらに ぬえどりの うらなげましつ すべなきまでに

意味:

日射す方の 天の川の原で トラツグミのように 織姫が彦星と会えずに泣きます すべなきまでに

作者:

柿本朝臣人麻呂(かきのもとのあそみひとまろ)この歌のタイトルは「七夕」です。ぬえ鳥は、「うら泣き」の枕ことばになっています。トラツグミは、口笛に似た鳴き声で泣きます。一定間隔でヒョーヒョーという鳴き声が夜中に聞こえ不気味に感じるということです。

 

第10巻2031

よしゑやし 直ならずとも ぬえ鳥の うら嘆げ居りと 告げむ子もがも

 

よしゑやし ただならずとも ぬえどりの うらなげをりと つげむこもがも

意味:

たとえ 直に逢えなくても トラツグミのように 心から嘆いていると 告げられる子が近くにいたらなあ

作者:

柿本朝臣人麻呂(かきのもとのあそんひとまろ)この歌は柿本人麻呂歌集からの歌で、秋雑歌の「七夕」一群の歌の中に現れるものです。

 

第17巻3978

   妹も我れも 心は同じ           いももあれも こころはおやじ
   たぐへれど いやなつかしく        たぐへれど いやなつかしく
   相見れば 常初花に            あひみれば とこはつはなに
   心ぐし めぐしもなしに          こころぐし めぐしもなしに
   はしけやし 我が奥妻           はしけやし あがおくづま
   大君の 命畏み              おほきみの みことかしこみ
   あしひきの 山越え野行き         あしひきの やまこえぬゆき
   天離る 鄙治めにと            あまざかる ひなをさめにと
   別れ来し その日の極み          わかれこし そのひのきはみ
10  あらたまの 年行き返り          あらたまの としゆきがへり
11  春花の うつろふまでに          はるはなの うつろふまでに
12  相見ねば いたもすべなみ         あひみねば いたもすべなみ
13  敷栲の 袖返しつつ            しきたへの そでかへしつつ
14  寝る夜おちず 夢には見れど        ぬるよおちず いめにはみれど
15  うつつにし 直にあらねば         うつつにし ただにあらねば
16  恋しけく 千重に積もりぬ         こひしけく ちへにつもりぬ
17  近くあらば 帰りにだにも         ちかくあらば かへりにだにも
18  うち行きて 妹が手枕           うちゆきて いもがたまくら
19  さし交へて 寝ても来ましを        さしかへて ねてもこましを
20  玉桙の 道はし遠く            たまほこの みちはしとほく
21  関さへに へなりてあれこそ        せきさへに へなりてあれこそ
22  よしゑやし よしはあらむぞ        よしゑやし よしはあらむぞ
23  霍公鳥 来鳴かむ月に           ほととぎす きなかむつきに
24  いつしかも 早くなりなむ         いつしかも はやくなりなむ
25  卯の花の にほへる山を          うのはなの にほへるやまを
26  よそのみも 振り放け見つつ        よそのみも ふりさけみつつ
27  近江道に い行き乗り立ち         あふみぢに いゆきのりたち
28  あをによし 奈良の我家に         あをによし ならのわぎへに
29  ぬえ鳥の うら泣けしつつ         ぬえどりの うらなけしつつ
30  下恋に 思ひうらぶれ           したごひに おもひうらぶれ
31  門に立ち 夕占問ひつつ          かどにたち ゆふけとひつつ
32  我を待つと 寝すらむ妹を 逢ひてはや見む わをまつと なすらむいもを あひてはやみむ

意味:

   妹も我れも 心は同じ           いももあれも こころはおやじ
   たぐへれど いやなつかしく        たぐへれど いやなつかしく
   相見れば 常初花に            あひみれば とこはつはなに
   心ぐし めぐしもなしに          こころぐし めぐしもなしに
   はしけやし 我が奥妻           はしけやし あがおくづま
   大君の 命畏み              おほきみの みことかしこみ
   あしひきの 山越え野行き         あしひきの やまこえぬゆき
   天離る 鄙治めにと            あまざかる ひなをさめにと
   別れ来し その日の極み          わかれこし そのひのきはみ
10  あらたまの 年行き返り          あらたまの としゆきがへり
11  春花の うつろふまでに          はるはなの うつろふまでに
12  相見ねば いたもすべなみ         あひみねば いたもすべなみ
13  敷栲の 袖返しつつ            しきたへの そでかへしつつ
14  寝る夜おちず 夢には見れど        ぬるよおちず いめにはみれど
15  うつつにし 直にあらねば         うつつにし ただにあらねば
16  恋しけく 千重に積もりぬ         こひしけく ちへにつもりぬ
17  近くあらば 帰りにだにも         ちかくあらば かへりにだにも
18  うち行きて 妹が手枕           うちゆきて いもがたまくら
19  さし交へて 寝ても来ましを        さしかへて ねてもこましを
20  玉桙の 道はし遠く            たまほこの みちはしとほく
21  関さへに へなりてあれこそ        せきさへに へなりてあれこそ
22  よしゑやし よしはあらむぞ        よしゑやし よしはあらむぞ
23  霍公鳥 来鳴かむ月に           ほととぎす きなかむつきに
24  いつしかも 早くなりなむ         いつしかも はやくなりなむ
25  卯の花の にほへる山を          うのはなの にほへるやまを
26  よそのみも 振り放け見つつ        よそのみも ふりさけみつつ
27  近江道に い行き乗り立ち         あふみぢに いゆきのりたち
28  あをによし 奈良の我家に         あをによし ならのわぎへに
29  ぬえ鳥の うら泣けしつつ         ぬえどりの うらなけしつつ
30  下恋に 思ひうらぶれ           したごひに おもひうらぶれ
31  門に立ち 夕占問ひつつ          かどにたち ゆふけとひつつ
32  我を待つと 寝すらむ妹を 逢ひてはや見む わをまつと なすらむいもを あひてはやみむ

意味:

   妻も私も 心は同じ
   寄り添っていても やあ、心が引かれ
   顔を見合わせれば いつも初めて咲いた花のように美しく
   せつない苦しさ いたわしさもなしに
   ああ、いとおしい 我が心から愛する妻
   天皇の 仰せを敬って慎み
   麓を長く引く 山越え野を行き
   天遠く離れている 地方を治めるために
   別れて来る その日が極まるとき
10  めでたく 新年を迎えて
11  春の花の 光や影が映るまでに
12  顔を見合わせないので 全く方法がない
13  寝所に敷く布の 袖を返しつつ
14  毎夜いつも 夢には見るけれど
15  現実として 直でなければ
16  恋しいこと 千重に積もる
17  近くにいるのであれば 帰りにだけでも
18  ちょっと行きて 妻と手枕で
19  寄り添って 寝ても来るものを
20  行く手の 道は遠く
21  関所までは 離れているけれども
22  それならそれで 手だてはあるのだ
23  ホトトギスが 来て鳴く月に
24  今すぐに 早くならないものか
25  卯の花の 香る山を
26  よそ目に ふり仰いで見ながら
27  近江道の 定められた道を行き
28  青丹を産する 奈良の我家に
29  トラツグミのように 心の中で泣きながら
30  ひそかに恋しく思い 悲しみに沈む
31  門に立って 夕方、道ばたに立って道行く人の言葉を聞いて吉凶を占う
32  私を待って 寝ているであろう妻に 逢って早く見たい

作者:

大伴宿禰家持(おおとものすくねやかもち)この歌には、「3月の5日に、大伴宿禰家持病に臥して作る。恋諸を述べる歌」となっています。恋諸とは、都の妻 大嬢への思いです。