たち変り    (たちかはり)

古き都と    (ふるきみやこと)

なりぬれば   (なりぬれば)

道の芝草長く  (みちのしばくさ)

生ひにけり   (ながくおひにけり)

意味:

時が移り変わり

奈良の都が古い都と

なってしまったので

道の芝生が長く

伸育ってしまったよ

作者:田辺福麻呂歌集から引用された歌です。

この歌は、次の1047番の歌に対する反歌です。

 

1 やすみしし 我が大君が
(やすみしし わがおほきみの)

2 立派にお治めになる 大和の国は
(たかしかす やまとのくには)

3 天皇の 神の御代より
(すめろきの かみのみよより)

4 あまねく治める 国であれば
(しきませる くににしあれば)

5 生れなされた 御子の代々
(あれまさむ みこのつぎつぎ)

6 この世の中 知らしまさむと
(あめのした しらしまさむと)

7 八百万 千年を兼ねて
(やほよろづ ちとせをかねて)

8 定めけむ 奈良の都は
(さだめけむ ならのみやこは)

9 かぎろひの 春にしなれば
(かぎろひの はるにしなれば)

10 春日山 御笠の野辺に
(かすがやま みかさののへに)

11 桜花 木の暗隠り
(さくらばな このくれがくり)

12 貌鳥は 間なくしば鳴く
(かほどりは まなくしばなく)

13 露霜の 秋さり来れば
(つゆしもの あきさりくれば)

14 生駒山 飛火が岳に
(いこまやま とぶひがたに)

15 萩の枝を しがらみ散らし
(はぎのえを しがらみちらし)

16 さを鹿は 妻呼び響む
(さをしかは つまよびとよむ)

17 山見れば 山も見が欲し
(やまみれば やまもみがほし)

18 里見れば 里も住みよし
(さとみれば さともすみよし)

19 もののふの 八十伴の男の
(もののふの やそとものをの)

20 うちはへて 思へりしくは
(うちはへて おもへりしくは)

21 天地の 寄り合ひの極み
(あめつちの よりあひのきはみ)

22 万代に 栄えゆかむと
(よろづよに さかえゆかむと)

23 思へりし 大宮すらを
(おもへりし おほみやすらを)

24 頼めりし 奈良の都を
(たのめりし ならのみやこを)

25 新代の ことにしあれば
(あらたよの ことにしあれば)

26 大君の 引きのまにまに
(おほきみの ひきのまにまに)

27 春花の うつろひ変り
(はるはなの うつろひかはり)

28 群鳥の 朝立ち行けば
(むらとりの あさだちゆけば)

29 さす竹の 大宮人の
(さすたけの おほみやひとの)

30 踏み平し 通ひし道は
(ふみならし かよひしみちは)

31 馬も行かず 人も行かねば 荒れにけるかも
(うまもゆかず ひともゆかねば あれにけるかも)

意味:

1   国の隅々までお治めになっている 我が大君(天皇)の
2   立派に治めている 大和の国は
3   天皇の 神の御代より
4   支配なさる 国にあれば
5   生まれて来られる 御子が代々継がれて
6   この世の中を 治められるものとして
7   限りなく長い 千年に渡って
8   定められた 奈良の都は
9   かげろうのように心が燃え立つ 春になれば
10  春日山の 御笠の野辺に
11  桜花の 木立が鬱蒼と茂って昼なお暗く
12  貌鳥(かおどり)は 途切れなくしきりに鳴く
13  露霜の 秋が来れば
14  生駒山の 飛火ヶ岳に
15  萩の枝を 塞き止め散らし
16  雄の鹿は 妻を呼び吠える
17  山見れば 山も見たい
18  里見れば 里に住みたい
19  武勇をもって主君に仕える 大勢の男の
20  ずっと長く 思っていたことは
21  天と地が 近寄って接する果て
22  永久に 栄え行くだろうと
23  思っていた 大宮すらも
24  頼みに思っていた 奈良の都を
25  新しい時代になった ことであれば
26  大君の 手引きのまにまに
27  春の花が 色があせて変り
28  群がった鳥が 朝立って行けば
29  根をしっかりと張った竹のような 大宮人の
30  踏みならした 通いの道は
31  馬も行かず 人も行かなければ 荒れてしまうかもしれません

作者: 田辺福麻呂(たなべのさきまろ)この歌のタイトルは「奈良の古京を悲しみて作る歌」となっている。田辺福麻呂歌集からの歌です。

この歌の中で奈良の都を歌っていますので、反歌の中に現れる都は、奈良の都だいうことが分かります。

聖武天皇は難波宮や恭仁宮や紫香楽宮を、5年という非常に短い間に作り遷都することを繰り返し、最後は、元の平安京に戻ってしまいました。聖武天皇がなぜこのような遷都を頻繁に繰り返したのか詳しい動機は不明ですが、遷都を頻繁に行った期間中には、都から左遷されたことに不満を持っていた藤原広嗣の乱を始め、遷都した先々で火災や大地震など社会不安をもたらす要因に遭遇した。それに聖武天皇の母親の宮子は、聖武天皇(首、おびと)を出産したのち精神的障害に陥り、その後は長く聖武天皇に会うことはなかったとされている。このことより、聖武天皇にも類似の精神的障害があり、これが頻繁な遷都に繋がったという説もある。しかし、藤原広嗣の乱も実際には早い時期に平定されていて、原因には考え難いともいわれる。

 

聖武天皇の遷都

740年    藤原広嗣の乱(終結741年)

741年    平城京 → 恭仁京

744年    恭仁京 → 難波宮

745年    難波宮 → 紫香楽宮 → 平城京

 

 

そこで最近では、聖武天皇は、次のような三都体制を目指していたのではないかという説もある。

 

恭仁京 —– 政治の都

難波宮 —– 商業の都

紫香楽宮 — 宗教の都

 

ノシバ:

ノシバ(野芝)は、日本に自生していた植物です。非常に強く、管理しやすい芝生です。冬には地上部が枯れます。草丈は15~25cmでいろいろな場面で広く利用され耐暑性もあります。現在でも販売されています。