第8巻1574

雲の上に 鳴くなる雁の 遠けども 君に逢はむと た廻り来つ

くものうへ  なくなるかりの とほけども きみにあはむと たもとほりきつ
意味: 
雲の上で 鳴いている雁は 遠いけれど 君に逢おうと 遠路はるばるやって来ました

作者:
この歌の作者は不明ですが、この歌のタイトルは、右大臣橘家にして宴する歌七首となっている。右大臣橘家とは、右大臣橘諸兄のことである。この宴は奈良京から離れた井手の別亭(京都府綴喜郡(つづきぐん、宇治市の南側)で行われた。よって、この句のはるばるやって来たにかかっています。

第8巻1575

雲の上に 鳴きつる雁の 寒きなへ 萩の下葉は もみちぬるかも

くものうへに なきつるかりの さむきなへ はぎのしたばは もみちぬるかも
意味: 
雲の上で 鳴いている雁の声が 寒そうに聞こえるそのとき 萩の下葉は 紅葉したよ

作者:
この歌の作者は不明ですが、この歌のタイトルは、1574と同じで右大臣橘家にして宴する歌七首となっている。

第8巻1578

今朝鳴きて 行きし雁が音 寒みかも この野の浅茅 色づきにける

けさなきて ゆきしかりがね さむみかも このののあさぢ いろづきにける
意味: 
今朝鳴きながら 飛んで行った雁の声 寒いのかな この野原のちがやは 色づいていた

作者:
阿倍虫麻呂(あべのむしまろ)この歌も1574と同じで右大臣橘家にして宴する歌七首となっていて右大臣橘諸兄の宴で歌われた歌です。

第8巻1614

九月の その初雁の 使にも 思ふ心は 聞こえ来ぬかも

ながつきの そのはつかりの つかひにも おもふこころは きこえこぬかも
意味: 
九月になって 北から初めて渡ってくる雁の 使いにも あなたの思う心は 聞こえて来ないかも

作者:
笠女郎(かさのいらつめ)笠郎女が大伴宿禰家持に送る歌一首というタイトルが付いている。大伴宿禰家持はもて男です。

第9巻1699

巨椋の 入江響むなり 射目人の 伏見が田居に 雁渡るらし

おほくらの いりえとよむなり いめひとの ふしみがたゐに かりわたるらし
意味: 
巨椋池の 入江が騒がしい 隠れて鳥を狙っている人の潜む 伏見の田圃に 雁が渡りそうだ

作者:
柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)巨椋池については、3.1章の第1巻50で書きましたが、大津から奈良方面に木材を送るときの中継基地になっていた場所です。

第9巻1700

秋風に 山吹の瀬の 鳴るなへに 天雲翔る 雁に逢へるかも

あきかぜに やまぶきのせの なるなへに あまくもかける かりにあへるかも
意味: 
秋風が 山吹のある川の浅瀬で 騒がしくなったそのときに 天の雲が飛んだ 雁に逢えるかも知れません

作者:
柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ) この歌のタイトルは、前の1609と合わせて宇治川にして作る歌2首となっている。巨椋池の場所は、宇治川の西で宇治川と木津川を繋ぐような位置にあった。この辺は水が豊富で地形も複雑なところであったため野鳥も豊富であったことが推定されます。

第9巻1701

さ夜中と 夜は更けぬらし 雁が音の 聞こゆる空ゆ 月渡る見ゆ

さよなかと よはふけぬらし かりがねの きこゆるそらゆ つきわたるみゆ
意味: 
真夜中の状態で 夜はふけてしまったらしい 雁の鳴き声の 聞こえる空に 月が渡るのが見えた

作者:
柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)歌のタイトルは弓削皇子に献(たてまつ)る歌三首となっている。弓削皇子は万葉集に8首の歌を残している。紀皇女に相聞歌を4首送っているが詳細なことは不明です。

第9巻1702

妹があたり 繁き雁が音 夕霧に 来鳴きて過ぎぬ すべなきまでに

いもがあたり しげきかりがね ゆふぎりに きなきてすぎぬ すべなきまでに
意味: 
恋人の家の辺りに たくさんの雁の鳴き声 夕霧の中を 来て鳴いて過ごす ひたすら待ち遠しい

作者:
柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)この歌は1701と同じ弓削皇子に献(たてまつ)る歌三首の2番目です。

第9巻1703

雲隠り 雁鳴く時は 秋山の 黄葉片待つ 時は過ぐれど

くもがくり かりなくときは あきやまの もみちかたまつ ときはすぐれど
意味: 
雲に隠れて 雁が鳴く時は 秋の山の 紅葉が待ち遠しい 雁の時は過ぎても

作者:
柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)この歌は1701と同じ弓削皇子に献(たてまつ)る歌三首の3番目です。

第9巻1708

春草を 馬咋山ゆ 越え来なる 雁の使は 宿り過ぐなり

はるくさを うまくひやまゆ こえくなる かりのつかひは やどりすぐなり
意味: 
春の若草を 馬が食うという咋山を 超えて来た 雁の使いは 一泊し過ぎて行った
作者:
柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)この詩のタイトルは、泉の川辺にして作る歌となっています。ここまで続いて来た柿本人麻呂の歌は、柿本朝臣人麻呂之歌集からの歌です。この歌の中に現れる咋山(くひやま、京都府綴喜郡田辺町の飯岡)とは、馬が食う山(咋山)という意味で、この山の春の若草を馬が食べるという意味のまくら言葉で咋山を形容しています。